こういう高度成長の動きを見ていると、自分たちの若い頃の北京はどんどんフェードアウトして行き、新たな北京のパースぺクティブがフェードインしてくる。さいわい、ジャーナリズムというたえず変化するものを生業としてきたので、ついていくことはできるが、最近は高度成長という字面をより深く理解することになったような気がする。
ある書物で、徳川時代の人間はひとつだけのアイデンティティーを確立すれば、一生安閑としておられたが、変化のめまぐるしい現代においては、人間は一生のうちに、複數のアイデンティティーを構築しつづけなければならなくなってきた、という敘述があったが、高度成長を続ける中國に暮らしている人間として、この敘述の意味するところが分かってきた。つまり、今、中國ではやりの「時代とともに進む」というのはこのことを指しているのだろう。
「中國網日本語版(チャイナネット)」 2011年1月10日