フランス『外交世界』誌も、次のように指摘する。中國人の大部分が「社會的な改革が必要」だと考えている。しかし、どのように改革するか、改革の方向性をどうするかという點(diǎn)で、全くまとまることができない。しかも、そこに汚職問題や社會的不平等、さまざまな國民生活に直結(jié)する問題が存在することで、將來の方向性を失い、苛立ちを感じる人が少なくない。張頣武氏によれば、これらの問題の答えを探る中で、中國人の個人権利の意識がこれまでにないほど高まっており、ある意味「度を超えて」その権利を使おうとするが、実現(xiàn)できなかったらやりきれなくなるのだという。
ロシア科學(xué)院極東研究所の専門家ヤコブ?ベルゲルは『インディペンデント紙』に対し、西側(cè)國家の宣伝も中國人、特に若者たちの苛立ちを掻き立てる原因の一つであり、中には、海外の情報機(jī)関に操られ、政府に不満を示す者まで出てきていると指摘する。張頣武氏によれば、インターネットなど現(xiàn)代のコミュニケーションツールは、人々により多くの世界の情報を與えたが、それは全面的なものではなく、中には、西側(cè)國家の長所を拡大し、自國の長所を全て無視してしまう者も存在するという。例えば、サービス業(yè)の土日営業(yè)、これは多くの西側(cè)國家で実現(xiàn)できていないが、中國では通常通り営業(yè)している。もし中國の銀行が週末に休むようなことがあれば、庶民は決してそれを許さないだろう。
香港『大公報』の論評によれば、行列に並ぶのも割り込むのも、全て社會に置いていかれないようにするためだが、殘念なことに、多くの人が楽しさを追及する時、息切れするほど急いでしまい、結(jié)局はその楽しさを逃してしまうことがよくあるという。生活の現(xiàn)代化が進(jìn)めば進(jìn)むほど、苛立ちの感情はかえって大きくなるのだ。
張頣武氏はまた次のように指摘する。19世紀(jì)末から20世紀(jì)初めにかけて、米國も「進(jìn)歩主義の時代」、「マックレーカーズ」等、飛躍的発展期に社會の苛立ち問題を経験した。日本の前世紀(jì)60年代にも同じような現(xiàn)象が起こった。この二國では、その狀態(tài)が20~30年継続し、ようやく収束を迎えた。中國社會の苛立ちは今始まったばかりであり、その解決への道のりはまだ遠(yuǎn)い。
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」2011年6月27日