仕事で日本に長(zhǎng)期滯在していた頃には、日本の著名自動(dòng)車メーカーの人たちともお付き合いがあり、ときどき取材や見(jiàn)學(xué)にも行っていた。自動(dòng)車工學(xué)については全くのシロウトであるが、中國(guó)が自動(dòng)車先進(jìn)國(guó)のようなよいクルマを作るようになるには、まだかなりの道のりがある、と感じていた。しかし、中國(guó)の自動(dòng)車メーカーや、そこで働いている人たちにとってはこれは夢(mèng)であり、どうしても現(xiàn)実にしたいことは確かだった。
その間、書(shū)店で売られている日本の主な自動(dòng)車メーカーの社史や、アメリカやヨーロッパに追いつくための努力などについていろいろ勉強(qiáng)した。日本の自動(dòng)車メーカーは、ボディやシャシーの設(shè)計(jì)ばかりでなく、ランプその他の設(shè)計(jì)にもかなり頭を使い、またクルマのデザインの研究のために外國(guó)にデザインセンターを設(shè)け、また、外國(guó)の道路事情の研究にも力を入れていることが分かった。こうしたなが年の努力の結(jié)果、日本も世界じゅうでかなりのマーケット?シェアを占めるクルマが作れるようになったわけだ。ローマは一日にしてならずという言葉があるが、良いクルマを作ることも、なが年の努力、模索が必要なわけだ。
中國(guó)の自動(dòng)車も、自動(dòng)車先進(jìn)國(guó)のお客さんたちに喜んで買ってもらえるようになるには、まだかなりの道のりがあることも確かだ。自分の子供でさえ、クルマを買う場(chǎng)合は必ず外國(guó)のクルマか、合弁で生産されたクルマを買っているのだから、このカベを切り崩すのは並大抵のことではない。