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lbxysyl.com |28. 08. 2023 |
展覧會の安全を見守り経済の回復を見屆ける
高原=文 王焱=寫真
趙思雨さん(30)は北京の大型コンベンションセンターの運営コーディネーターだ。その主な仕事は、展覧會開催前に主催側、運営側、業者らの提出書類をまとめ、現地の公安機関への手続きを済ませ、期間中に公安や消防と共に現場を見回ることだ。コンベンション業界では安全管理者の経験もあり、仮設建築物建設の監督をしていた。そのため、會場の安全管理には人一倍敏感で、見回り中に各部門へ日常業務におけるさまざまな潛在リスクを指摘する。
コンベンション業界で10年近く働いてきた趙さんは、業界の急成長、新型コロナ期間中の低迷、そして今年の顕著な回復を経験し、この業界が「経済発展の風見鶏」だと実感した。
コロナから立ち直る
8月の大型展覧會を控えた1カ月余り前から、趙さんは主催側に許可の申請書類の一覧を提出して準備させた。大型展覧會の開催に対する現地の公安機関や城管(都市管理機関)の要請を、主催側に一刻も早く形にしてもらう必要があると趙さんは言う。過去3年間は、新型コロナウイルス感染癥が原因で、趙さんのコンベンションセンターで開催した展覧會は、2021年でたった20余り、20年と22年に至っては1桁しか開催しておらず、規模も制限され、質も低下した。「今年から徐々に回復してきました」と趙さん。「新型コロナ前は毎年2、3回、アニメ?コスプレイベントがありましたが、今年は3、4回あります。5月のイベントでは、朝9時から來場者が地下鉄駅からコンベンションセンター入り口まで列をなして壯観でした」
アニメ?コスプレイベントが人々の元気と消費熱を反映しているのなら、展覧會は経済情勢全體の変化を表している。「コンベンション業界は経済情勢に大きく左右され、景気が良いときはみんなの出展意欲が高く、現場で大口契約を結ぼうと期待しています。不景気だと、みんなが支出を抑えようとして積極性も下がります。コンベンション業界を後押しする北京市政府の力はいまなお大きいです。今年、私たちのコンベンションセンターが請け負った大型展覧會は、3月に二つ、4月に三つ、5月からは毎週最低一つあり、通年で40回に達する見込みです。私たちの會場は面積がとても広いので、開催されるのはいずれも大型展覧會で、この數に達するのはたいしたものです」。展覧會のノベルティーで、業界の狀況をうかがい知れるとも語る。「景気が良いときはノベルティーが凝っています。全世界対応コンセント変換プラグなどは、どれだけ安くても數十元するはずです。それにモバイルバッテリーなども。しかし不景気になったらただのノートになりました。今年はどうかチェックしてみるのもいいでしょう」
商務部の統計データと趙さんの「コンベンション業界の回復」の直感は一致する。統計によると、今年、中國大陸部の展示館で開催された展覧會は前年同期比3?3倍増の134回で、2019年同期比83?8%にまで回復し、展覧會の総面積は同期比5?8倍増となり、2019年同期比93?8%にまで回復した。そのうち、1萬平方?以上の大型展覧會は44?8%を占める60回開かれ、同期比4?5倍に増え、2019年同期比90?9%にまで回復した。デジタル経済、新エネルギー車、トータルヘルスケアなどをテーマとする展覧會の再開がとりわけ早く、北京、上海、遼寧、広州、深圳などの省や直轄市?大都市の回復が比較的早い。
展覧會と共にあった10年
趙さんは2015年に大學を卒業後、北京國家會議センター、杭州國際博覧センター、北京展覧館などで働いた。15~18年で、現場の安全管理者から安全管理責任者、運営コーディネーターとなり、コンベンション業界が急成長を遂げた3年間を見屆けた。北京國家會議センターで働いていたときは、手掛けた會議や展覧會が大小合わせて毎年400~500回あったと振り返る。「1年365日、イベントがない日はなかったです。一番遅かったのは大晦日に企業がやったイベントで、閉會して撤収したら全員家に帰って年を越しました。特に思い出に殘っています」
當時は展覧會の勉強や交流をするために上海や広州などへよく行っていた。「上海の展覧會で特に印象深かったのが、17年に行った會場にコンビニがあったことです。當時、私たちの展示館には飲み物や軽食を売る飲食部門があったのですが、上海のそこにはコンビニが常設されていて、しかも市場価格で販売していたんです。他の設備も充実していて、宿泊施設も飲食も印刷も、サービスは全てそろっていました。初めて參加したという運営會社は、指定の業者がいなくて、展覧會の業者チームから選ぶことが可能でした。その點は私たちも學ばなければいけないと思いました」
コンベンション業界で働いた最初の數年間はずっと安全管理の仕事に就いていたため、安全に関する問題には敏感なままだ。「安全対策とは誰かが責任を負って誰かがやるものだと多くの人は考えていますが、実はそうではありません。全員が安全対策に參加しなければいけないのです。安全管理部門は各部門の安全対策を點検し、注意を出しているだけにすぎません」
會場內に仮設展示ブースを造るという展覧會で、主催側からそれらの展示ブースの設計図をもらい、じっくりと目を通した。「木製のもあれば鉄骨構造のもあり、トラスの長さやスパンがいくらか、最大使用荷重、構造強度はどうか、これらを全て把握しないと改善書に落とし込めません。専門性が求められる仕事です」そう言ったときの趙さんの顔は誇らしげだった。
専門科目から最適な仕事へ
趙さんは大學時代に経済工學部で安全技術?管理を専攻していた。これは父親から大きな影響を受けている。「父は排水システムの技術者で、炭鉱の付屬工場で働いていましたが、それから製紙工場、とうもろこし加工場で働いていました。子どもの頃はとうもろこし加工場の家族寮で育ったので、とうもろこしペーストの匂いが強く印象に殘っています。男ですから、小さい頃は父と一緒に遊ぶのが好きでしたし、仕事中もそばで見ながらレンチを手渡したりしていました。こうして強く影響を受けたので、建設機械の類が大好きなんです」
「大學入試で點數が本科に行けるギリギリでしたが、無理に4年制大學に通うよりも自分の好きな専門科目を學ぶことにしました。父からアドバイスをもらい、安全関係の専攻を選ぶことにしました。自分が好きなことだったら、著実に技術を學べます」
安全技術という専門性を身に付けたいま、趙さんはコンベンション業界にしっかり根を下ろし、安定した仕事に就き、確実な昇進コースも用意され、満足している。今は妻と北京の中心部に住んでおり、毎朝6時頃に出勤し、通勤に往復3時間かかり、設営準備が完了しないと一緒に深夜まで殘業することもある。大変な仕事だが、大好きだと語る。
すっかり職業病にかかったと冗談さえ飛ばす。趙さんは妻と映畫を見に行くたびに、場內をぐるりと見渡すのだという。妻から「何か探しているの?」と聞かれた趙さんはこう答えた。「いや、避難階段や非常口がどこにあるのか探していたんだ。萬が一のとき、君を連れてどこに逃げればいいか分かるからね」。安全意識は趙さんの身にしっかり染み付いている。
自動運転技術展覧會で、出展者に屋外展示の注意事項を説明する趙さん
「人民中國インターネット版」2023年8月28日