著名な國學(xué)の大家?季羨林氏が11日午前9時(shí)、北京301醫(yī)院で病気のため亡くなった。享年98歳。
12日午前11時(shí)40分頃、北京大學(xué)100周年記念講堂ロビー內(nèi)に設(shè)けられた、季羨林先生の棺が安置された部屋が開放され、同日中に約3500人が弔問に訪れた。北京大學(xué)季羨林先生葬儀弁公室によると、同日から今月17日まで、季羨林先生の安置所は毎日午前9時(shí)から午後5時(shí)まで一般開放され、教職員?學(xué)生のほか、一般市民からの弔問を受け付ける。
季羨林先生葬儀弁公室のまとめによると、12日正午までに、中國共産黨および國家?guī)植郡饯欷兢毂本┐髮W(xué)を通じ、季羨林先生の逝去に対して深い哀悼の意を表した。國務(wù)院の溫家寶?総理は季羨林先生の逝去當(dāng)日正午、北京301醫(yī)院に赴き哀悼の念を示した。溫総理は真情を込めて語った。「私は8月6日の先生の誕生祝いを準(zhǔn)備していました。いくつか先生とお話ししたい話題もあったのです」。
季羨林(1911-2009):北京大學(xué)教授、中國科學(xué)院アカデミー會(huì)員。中國の著名な文學(xué)者、言語學(xué)者、教育者、社會(huì)活動(dòng)家。學(xué)界の「國寶」の譽(yù)れを有する。季羨林先生は若くして歐州に留學(xué)、1940年代に帰國後、長(zhǎng)年にわたり北京大學(xué)で教壇に立ち、言語學(xué)、文化學(xué)、歴史學(xué)、仏教學(xué)、インド學(xué)、比較文學(xué)などの方面で功績(jī)を殘した。言語に精通し、英語、ドイツ語、サンスクリット語、パーリ語に通じていたほか、ロシア語、フランス語を読むこともでき、とりわけトカラ語に精通、世界的にもトカラ語に精通した數(shù)少ない學(xué)者のひとりとされた。季羨林先生は実に多くの學(xué)術(shù)領(lǐng)域に攜わり、サンスクリット語文學(xué)のほか、ドイツ、英國などの古典の研究翻訳に従事、サンスクリット語の名書「Abhijnanasakuntala」、さらには全世界の注目を集めた古代インドの大長(zhǎng)編敘事詩「ラーマーヤナ」などの翻訳を完成させた。季羨林先生はまた散文の達(dá)人としても著名なほか、他にも実に多くの各種作品を殘しており、その実績(jī)は1千萬字以上に上るといわれている。(編集HT)
「人民網(wǎng)日本語版」2009年7月13日