林國本
最近、二、三の大學で日本語を専攻している若者たちのさまざまなコンテストの評議員の仕事のお手伝いをさせてもらったが、その際関係者から、今や中國で日本語を専攻している學生の數がすでに10萬人を上回っていることを聞き、大いにその発展ぶりに驚き、かつ、喜びを覚えた。そして、若い學生たちの目の輝き、日本語を學ぶ意欲をまのあたりにして、私はこれらの若者たちがやがて、日本語學、日本文學の研究、紹介、二國間のビジネスなどさまざまな分野で活躍することになるのだ思い、感無量の気持ちに浸っていた。
日本の新聞の記事に、中國のある若者が日本語を専攻することにしたため、親兄弟から日本と中國の過去のことを思い起こすと、その選択がはたして正しかったかどうか疑われたということが書かれていたが、私見ではあるが、中國人の中でこんな狹量の人はごく少數だと思う。それよりも、私の知人の中には自分の子供が日本語を専攻していることを誇りとしている人もかなりいることをしるしておきたい、その國の言葉を勉強することは、その國の歴史、文化を知ることであり、また自分の視野を広げることにもなり、すばらしい選択だと言える。
大學関係者の中には、選択科目の第二言語として日本語を選択した人たちを含めて數は10數萬人もいる狀況になり、大學に勤務するものとして、卒業生の就職問題を気にしている人もいたが、これは杞憂ではないかと思う。中國が高度成長で大発展をとげている今日のこと、まだまだ就職のチャンスはたくさんあると思う。
私たち古い世代は、今日のような好條件に恵まれなかったが、それでも元上司や先輩たちは當時としてベストの環境條件を作ってくれたおかげで、それぞれが、自分なりに「これだ」と思うユニークなシステムを構築してきた。今日の若者たちも改革、開放の追い風を背に大きく羽ばたいてもらいたい。