星祭りで、女性たちが乞巧をする目的は、「器用な女」という名聲を得るだけではない。この風習の深い意味は、幸せや長壽を願うこと。とくに娘には結婚ができるように、婦人には子どもが授かるようにと祈ることにある。
古代の人は、織女星を「くだもの、シルク、寶物などをつかさどる神」として敬っていた。そのため七夕になると、くだものやその砂糖漬け、酒、料理、餃子を並べて感謝の気持ちを表すほかに、織女星に豊作や富を祈るのである。
昔の中國には、「男女は直接、物の受け渡しをしない」「父母の命に従い、仲人の言うことを聞く」などの封建的なしきたりがあった。そのため若い男女、とりわけ閨房(女子の部屋)に閉じ込められた少女が結婚相手を探すのは難しく、自由戀愛、自由結婚などはもってのほかだった。こうして彼女たちは「縁結びの神」である織女に良縁をたくして、「青春と美貌を守ってください」「気に入った相手を見つけてください」と願っていた。
甘粛省のかつてのシルクロードの沿道にある一部の村では、夜更けに人が寢靜まるころ、娘たちが村を出る。そして「思い通りの戀人を授けてください!」と3回つぶやきながら、ひざまずいて銀河を拝む。その後、ほどなくして仲人が縁談を持ってきてくれるのだという。
こうした習わしや心理によって、各地の女性たちは七夕になると、河で、または水を汲んできて家で水浴をしたり、器や家具を洗ったりする。そうすることで、髪の黒さとつややかさが増し、器はさらにきれいになるとされている。
各地にある少年宮の多くは手蕓クラスを設け、子どもたちに乞巧工蕓の作り方を教えている。
チワン族の話によれば、七夕の日は地上の河と銀河が合流するのだそうだ。そのため「銀河の水」で沐浴すれば、美しい髪になるばかりでなく、肌をうるおし、出來物ができることなく、健康的で幸せになると考えられている。また、この日はよく雨が降るので、織女星を祭ったあとは中庭に靜かに座り、雨にぬれる時を待つ。この夜の雨は、牽牛と織女が再會を喜ぶ「慕いあう涙」だといわれている。この「うれし泣きの涙」にぬれると、夫婦の愛が強くなり、「別離の苦しみ」から逃れられると信じられているようだ。
中國には昔、「不孝に3つあり、後継ぎのいないのが一番」という古い禮儀と道徳があった。そのため、子どものない女性はたいへんなストレスに耐えた。甚だしきは離婚に追いこまれ、実家に帰らざるを得ないという悲しい出來事すらあった。こうして、まだ子どものない女性たちは、七夕の日にロウでつくった赤ちゃんを水をはったたらいに入れ、子どもが授かるようにと祈願した。また、夜になると「生育をつかさどる」という織女星を、熱心に拝んでいた。
その後、中國に仏教が伝わると、民間では観音菩薩が男から女に変わっただけでなく、生育をつかさどる神になった。そのため、織女星の役割がしだいに「子授け観音」へと移っていった。にもかかわらず、今でも七夕になると箱の中にクモを入れ、巣を張らせる風習がある。これも「乞巧」と呼ばれているが、じつはクモの俗稱が「喜子」なので、子どもが授かるようにと祈願するしきたりなのだ。
また広州では、殻を赤く染めた卵を供え物にして、子どもが授かるようにと祈っている。同様に山東省、河南省で、ナツメを餃子の餡に入れるのは「棗子」(早子、早く子どもができること)の発音からきた風習である。
いずれにしても七夕節に織女星を祭るのは、女性が知恵や器用さを求めることを名目としているが、より深い意味は娘の結婚を願い、子どもが授かるようにと祈ることにある。娘たちが幸せな結婚をして、円満な家庭をきずくようにと願っているのだ。そのため、七夕は「娘の祭り」ともいわれ、臺灣の同胞たちはそれを「中國のバレンタインデー」と呼んでいる。
「中國網日本語版(チャイナネット)」2023年8月17日