舊暦の大晦日、天には花火が舞い上がり地には爆竹が鳴り響く中、私は中國で新年を迎えられる喜びをかみしめていました。日本での年越しはどちらかと言うと靜かに行われます。ですから、中國でのこの光景を、日本人はもしかしたら「騒々しい」という言葉で表現するかもしれません。しかしそのときの私は、その騒々しさに対して一切嫌悪を感じませんでした。その中には、人々が全身全霊をかけて新年の到來を祝う情熱がありました。
北京に來たばかりの頃、私は北京という街の騒々しさに圧倒されていました。四六時中鳴り響くクラクションの音に、文字通り朝から晩まで勉強に勵む學生たち。道端で果物を売る人々は、前を通り過ぎる人が聞いていようがいまいが、常に聲を掛け続けます。人々の話し聲も日本人よりいくらか大きいように感じられました。
當初、私はこの騒々しさに慣れることができませんでした。そこにはむき出しの人々の感情があり、そういうものを內側に隠すことの方が多かった私にとっては、少々恐ろしいもののように感じられることもありました。「日本人は」とひとくくりにしては語弊があるかもしれませんが、一般的に言って、日本ではストレートな物言いが好まれないように思います。しかしここではそれでは通用しません。授業中でも、市場でも、自分の意見を言葉に出してきちんと伝えなければなりませんでした。
中國語を學び、多少自分の考えが表現できるようになってくると、物事のとらえ方は変わってきました。自分の考えを主張することの必要性と同時に、自分の感情を表に出すことの大切さも感じてきたのです。それがわかったとき、私の北京を見る目は変わりました。この騒々しさは、人々が毎日懸命に生活しているそのエネルギーの塊なのだと。そして北京の街は騒々しいのではなく、「にぎやか」なのだということに気が付きました。
長野県への留學経験を持つ中國人の友人が、「初めて長野の街を歩いたとき、人があまりにも少なくて、まるで夢の中にいるような気がした」と語っていたのを思い出しました。北京のにぎやかさを日常として育った人には、逆に靜かな街が気味悪く映ったのかもしれません。彼にとって、長野の街は「靜か」ではなく「寂しい」ものでした。私にとって北京の街が當初「にぎやか」ではなく「騒々しい」ものであったのと同じです。北京の街を「騒々しい」と言ってしまえばそれまでですが、そこには人々が懸命に生きる熱気のようなものが潛んでいました。
私が北京にやってきて、早7カ月が経とうとしています。私は今、中國の持つこのにぎやかさが好きです。北京で見た人々の姿、それはとても「健康的な」人間の姿でした。小さなことでくよくよ悩むことの多かった私が、こうして今毎日を生き生きと暮らすことが出來るのは、もしかしたら中國の熱気に引き込まれてしまったからかもしれません。新しい年の始まりを、あれほどの光と音の中全身で喜ぶことができたら、どれほど気持ちが良いでしょう。私には中國が、そして中國の人々が持っている「熱閙=にぎやかさ」が、人の気持ちを全身で素直に表現することの大切さを物語っているような気がするのです。
?(筆者は信州大學の奧村梓未さん 現在北京外國語大學留學中)
「チャイナネット」