マラッカは東南アジアの重要な港灣であり商業の中心で、取引価格は公正で信頼度が高く、毎日この地で貿易取引を行なう各國の商人で賑わっている。これは600年前、鄭和が遠洋航海を行なったときに、マラッカで唱導した平等貿易がいまだに遺留されているのである。
鄭和の船隊は、行く先々で、まず各國の通貨、貿易手段を理解し、その度量衡換算、商取引方式或いは商習慣を考察している。ベトナムでは、通過に銀を用いず、純度70%の金が売買取引に用いていた。インドネシアのジャワでは、貨幣が正式な取引に用いられ、中國歴代の鉛或いは銅銭が使用されていた。スリランカでは中國の麝香、チョマ、彩色シルク、青磁の皿、碗を寶石類と交換する物々交換方式であった。このほか、中國の手工蕓製品を貨幣代わりに使用する國もあった。鄭和船隊の秩序は整然としており計算も正確で、売買に公正であったので、貿易活動も非常に円滑であった。
鄭和の船隊は各國との貿易に平等と信頼の確保に努め、例えばインドのカルカットでは雙方がひとたび合意し契約を締結すれば、「貴賎を問わず、悔いることはありえない」と稱され、売買の強制も詐取強奪もすることなく、各國間の模範となった。一時期、インド洋は中國とアラブのペルシャ灣、紅海を連絡する東西貿易の中継集散地となった。東方で活躍したペルシャ商人、アラブ商人は中國のシルク、陶磁器、南洋の香料を地中海東部に輸送し、またイタリア北部に移送した後、歐州に転売していた。
「チャイナネット」2005年7月1日