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砂漠でオアシスをつくる王有徳さん |
発信時間: 2008-01-08 | チャイナネット |
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53歳の王有徳さんは、寧夏回族自治區(qū)霊武市白芨灘國家自然保護(hù)區(qū)管理局の局長兼白芨灘防風(fēng)防砂営林場の場長。 條件も良く、待遇も良い職場へ転任するチャンスを4回も斷り、砂漠で20年間も働き、毛烏素砂漠の南西部をあまねく回ってきた。王さんが砂漠化防止や植林事業(yè)で上げた業(yè)績は、人々の心に立てられた永遠(yuǎn)の記念碑となっている。 「後人のために緑を多く殘し、人生に後悔を殘さない」というのが、王さんの一生をかけての理想だ。営林場の責(zé)任者になって21年來、王さんは従業(yè)員を率いて防砂防風(fēng)林1萬7353ヘクタールをつくり、2萬100ヘクタールの流砂を抑え、約3萬本の木を植えた。また、毛烏素砂漠の南西部に東西の長さ42キロ、南北の幅10キロに及ぶ緑の障壁を作り出し、砂漠の拡大化を食い止めた。昔は黃砂が空を覆い、生態(tài)環(huán)境と生活條件が非常に悪い営林場は、今では生物の種類が豊富で、生態(tài)環(huán)境がすばらしい國家自然保護(hù)區(qū)となっている。 1985年以前、営林場は管理がずさんで、経済効果が低く、人々の心も緩んでいた。王さんは営林場に転任した後、次の三つの改革を思い切って実行した。(1)管理者を削減し、支出を削減する。(2)平均主義の配分制度を打ち破った上で、仕事の能率に基づく賃金制度を築く。(3)土地や林木、労働力など資源上の強みを十分に生かし、草の栽培、牧畜の飼育、やなぎ細(xì)工、輸送などの産業(yè)を興す。これら三つの改革の実施で、従業(yè)員流出がなくなり、人々の責(zé)任感が強まり、従業(yè)員の積極性が引き出された。 1990年、営林場は経済林234ヘクタールをつくり、さまざまな樹木16萬8000本を植えて、砂漠をオアシスに変えた。これによって、約360人の就職問題が解決された。彼は他にも、建材企業(yè)を2社、苗木?花卉公司を1社起業(yè)し、添保防砂植林有限公司などを設(shè)立した。 21年間に営林場の固定資産は40萬元足らずから3325萬元に増え、林木資産は6倍増の5800萬元に達(dá)し、従業(yè)員の収入は9倍増となり、一人當(dāng)たりの年収は1萬2000元を上回るようになった。 王さんの知識尊重、人材重視の姿勢は、技術(shù)者を引きとめただけでなく、他のところの人材をも引き付けてきた。 長年にわたり、王さんは科學(xué)に頼って砂漠化対策を模索し続け、「中日(寧夏=島根)友好林」、「日援寧夏黃河中流流域防護(hù)林」など6つの植林プロジェクトを相次いで実施した。また、砂漠化地區(qū)の農(nóng)業(yè)用林業(yè)実験モデルについて日本と共同研究を展開し、針葉樹と棗の木の混合林地で節(jié)水浸透型灌漑技術(shù)を?qū)g行し、黃河中流の防砂植林プロジェクトを組織、実施し、植林方法と砂漠対策をまとめた上、これを普及させ、面積約2680ヘクタールの中國唯一の砂漠植物採種基地を作り上げた。こうした一連の砂漠対策や植林技術(shù)の活用によって、林木の活著率が向上した。 1986年以來、上級機関は何回も王さんをさまざまな役職に引き立てようとしたが、いずれも王さんに婉曲に斷られた。王さんはためらうことなく白芨灘に殘ることを選択した。十?dāng)?shù)種の病気を患い、左目は失明に近い狀態(tài)の王さんだが、彼は砂漠と闘う最前線で奮闘しつづけている。 王さんは「優(yōu)秀な共産黨員」「先進(jìn)工作者」「公僕ベストテン」「全國緑化先進(jìn)工作者」「全國先進(jìn)工作者」「全國砂漠化防止の英雄」の各稱號に輝いた英雄だ。 「北京週報日本語版?より2008年1月8日 |
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