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普陀山

普陀山は中國の仏教の四大名山の一つで、東部沿海地區の浙江省にある。山といっても、舟山列島の東南端にある南北8.6キロ、東西3.5キロ、面積12.76平方キロという小島で、山の一番高い峰の佛頂山の標高は291メートルしかない。

伝えられるところによると、五代の後梁貞明2年、つまり西暦916年、日本の僧侶慧鍔が五臺山から観音像を迎えて帰國する途中、普陀山で大風に遭い、行く手を阻まれてしまった。

それで、慧鍔は、紫竹林の中に茅葺の小屋を立てて住み著くようになり、さらに、「不肯去観音院」、つまり「行きたがらない観音」というお寺を建立した。

南宋の昭興元年、西暦113年になると、普陀山にある仏教の各宗を禪宗に統一した。また、嘉定七年、西暦1214年には、普陀山を「観音」を主に祭るところと定めた。

歴代、ここにたくさんのお寺を建立したが、新中國成立の1949年までに、普陀山には、お寺や庵室などが218ヵ所あり、僧侶と尼僧の數は、2000人にも達した。

すべてのお寺のうち、普済寺や法雨寺、慧済寺の三つのお寺は、規模が一番大きく、建築もこっていて、中國の清の初期の建築物の代表的なものである。

普陀山は、また千歩沙、潮音洞、梵音洞、南天門、西天門などの名所が20ヵ所余りあって、中國の有名な避暑地の一つでもある。

普陀山の三大寺院の一つである普済寺の山門にかかる「普済禪寺」という額の文字は、中國仏教協會の趙僕初會長の筆になるものである。

もう一つ「普済群霊」という四文字の額が見られるが、これは清の康煕帝の書だといわれている。

八百年余りの歴史を持つこの普済寺には、合わせて37の御堂があり、その建築面積は11000平方メートルにも及んでいる。

山門をくぐり、四天王の陣取る天王殿を出ると、広い境內に、見上げるような老木がうっそうと葉を茂らせている。

円通大殿には、高さ8.8メートルの観音像が納められている。この観音像は女性の姿をしている。「女性は男性よりも多くの苦しみを受けているので、観音様が女性の姿になって、この世の女性を救いにきられた」とお寺の人は話している。

普陀山の第二のお寺は法雨寺である。四百年の歴史を持つこの法雨寺は、黃金色の瓦が太陽の光を受けて輝いている。この瑠璃瓦は、清の皇帝の命令によって、明の都南京の宮殿を取り壊し、それをわざわざ南京から運んできたものである。

とくに、法雨寺の中の観音殿の殿內の天井には、九つの竜の図案が刻まれているところから、この観音殿は九龍殿とも呼ばれている。

法雨寺の大雄寶殿には、中央には、シャカムニ、左には薬師仏、右には阿彌陀仏の三體の仏像が並んでいるが、これは、過去、現在、未來の三世諸仏だといわれている。

法雨寺を出ると、2000段の石段が最高峰の仏頂山まで続いている。この山の頂にあるお寺が、普陀山三大寺院の一つである慧済寺である。この仏頂山の頂に立って眺めますと、島を囲む大海原の波頭がキラキラと輝いて見え、その中に深い藍色をした小島が、ヒスイをはめ込んだように點々と並んでいるのが見える。

また、山の下には、砂浜が金の帯のように連なっている。海を渡る風は涼しく、とくに夏には、絶好の避暑地で、ご來光を眺めに來る人も少なくない。

この仏頂山には、お茶も栽培されていて、仏頂茶と呼ばれている。このお茶は、なかなかおいしいもので、昔、萬國博覧會で賞に入ったこともあった。

いまでは、普済寺からまっすぐ仏頂山に行く自動車道路が作られたので、徒歩で山登りをしなくても、頂上まで車で上って、大海原や山間のさまざまな姿をした巖、そして海辺の塩田や、波に戯れる人々の姿を眺めることができるようになった。

普陀山の特長は、山の巖の形が千差萬別で見飽きない面白さがあることだろう。大きな巖がいまにも崖から落ちそうな感じの盤陀石には、孫文先生が書いたという「霊石」の二字が刻み込まれている。

また、普陀山の巖には、古代の人たちによって作られたたくさんの伝説が伝わっている。

例えば、盤陀石の西に並ぶ53の石は、53人の羅漢が観音様の説教を聴いたところだというし、二匹の亀が互いに呼び合っているような格好に見える二つの石については、二人の若い男女が観音様の教えを聞きにこの山に來て、仲良くなり、密會を重ねたので、観音様の怒りに觸れて、亀にされてしまった。それでも、二人の心は変わらず、互いに首を伸ばして、呼び合いながらこの山に住み、千年、萬年たつうちに石の亀になったという言い伝えである。

ところで、海辺を行くと、日本の和尚慧鍔が五臺山から迎えてきた観音を祭ったといわれる古いお寺がある。

これは黃色い塀の中に庭のある小さな美しいお寺であるが、參拝客があとを絶たない。「不肯去観音院」と呼ばれるこの観音院に近い海辺に潮音洞がある。海水の浸蝕で數十メートルの洞穴ができていて、満ち潮のときに、雷鳴りがとどろくような音を立てている。

この潮音洞に観音がしばしば姿を現すというので、信者がよく拝みにくるところである。

昔は、ここに身を投げる信者もいたそうで、禁止令を刻んだ石碑が殘っている。

また、そのすぐそばに紫竹林がある。そこは西遊記の中の孫悟空が観音と出會ったところとされている。

普陀山の海辺には、名の知れた砂浜が三ヵ所ある。この砂浜には、千歩沙、百歩沙、そして金沙とそれぞれ名前がつけられている。

このうち、千歩沙は一番広く、幅100メートルの砂浜が1.7キロも続いている。太平洋に面しているこの浜辺には、東の風が吹くと大きな波が押し寄せ、波の音が響き渡る。

もう一つの百歩沙は、海水浴場に適していて、砂が黃色味がかっているため、金砂と呼ばれている。

この二つの砂浜をあわせると、2キロの長さに及んで、夏の海水浴場としては理想的なところである。毎年夏には、大勢の若者がやってくるし、冬でも砂浜を散歩する遊覧客が少なくない。

普陀山には、十數年前に、文化財を展示する文物館ができて、一般公開された。この文物館は、三つの陳列室に分かれているが、日本をはじめ、インド、ミャンマー、カンボジアなどの國から送られた文物や中國古代の銅器、明と清の時代の陶磁器、古代の書畫などが展示されている。

中には、清の皇帝が送ったという袈裟や印鑑、七寶焼の鉢などがある。清の西太后が書いた絵「牡丹図」、それにチベットの九世パンチエンエルドニが送った銀のお金などが展示されているのである。

CRIより 2004年10月22日 

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