日本に強(qiáng)制連行された中國(guó)人労働者が蜂起し、鎮(zhèn)圧時(shí)に多數(shù)の中國(guó)人が犠牲になった第2次世界大戦中の「花岡事件」の生存者代表?李鉄垂さんは29日、日本の首相官邸を訪れ、日本政府と小泉純一郎首相への請(qǐng)願(yuàn)書(shū)と中國(guó)人23萬(wàn)人の署名公開(kāi)狀を手渡し、「花岡事件」の生存者と死者の遺族への謝罪と賠償を求めた。
李さんが事件の被害者の會(huì)「花岡受難者聯(lián)誼會(huì)」を代表して手渡した請(qǐng)願(yuàn)書(shū)は、次の3點(diǎn)を要求している。
(1)日本政府は、「花岡事件」や、強(qiáng)制連行?強(qiáng)制労働の被害を受けた中國(guó)人捕虜と労働者すべてについて、歴史的真相を徹底的に調(diào)査し、すべての事実や真相を社會(huì)に公開(kāi)する。
(2)日本政府は、日本が軍國(guó)主義時(shí)代に中國(guó)人捕虜や労働者に対して行った強(qiáng)制連行、強(qiáng)制労働という罪を認(rèn)め、政治?法律?道義上の責(zé)任を負(fù)い、「花岡受難者聯(lián)誼會(huì)」の生存者や犠牲者の遺族に謝罪し、適切な経済的補(bǔ)償を行う。
(3)日本政府は歴史を尊重し、戦略戦爭(zhēng)を真剣に反省する。次の世代の教育のために、中日友好促進(jìn)のために、中國(guó)人捕虜?労働者の強(qiáng)制連行や強(qiáng)制労働という歴史事実を、日本の教科書(shū)に正確に記載する。
<花岡事件>
1945年6月30日、日本秋田県の花岡鉱山に強(qiáng)制連行された中國(guó)人労働者700人あまりが、非人道的な待遇に耐えられず蜂起した。日本側(cè)はこれを鎮(zhèn)圧し、3日間で労働者130人以上が拷問(wèn)を受けて死亡した。統(tǒng)計(jì)によると、1944年8月から1945年11月までの間に、花岡鉱山の中國(guó)人労働者986人のうち400人以上が死亡した。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2005年6月30日