米國(guó)と戦爭(zhēng)をしようと考える日本人はおそらく皆無(wú)でしょう。日本人は歴史から教訓(xùn)を得て、米國(guó)とは戦爭(zhēng)をすべきではないということを?qū)Wびました。
しかし、例えば北朝鮮との戦爭(zhēng)の賛否を問(wèn)われたとしたら、同じくらい斷固として反対を貫ける日本人はどれだけいるでしょうか。拉致や核などの問(wèn)題が難航していることに加え、米國(guó)が味方についているという狀況を考えると、最終的に武力行使に踏み切るのもやむをえないと考える日本人は少なくないでしょう。
事実、イラク戦爭(zhēng)の場(chǎng)合がそうでした。戦爭(zhēng)に反対する市民も一部にはいましたが、政府も世論も戦爭(zhēng)を支持しました。
日本人が歴史から得た教訓(xùn)とは、「日本が負(fù)ける戦爭(zhēng)をしてはいけない」ということではないでしょうか。戦爭(zhēng)そのものに必ずしも反対しているわけではないのです。日本が勝てる見(jiàn)込みのある戦爭(zhēng)や、日本に危害が及ばない戦爭(zhēng)となると、反対の聲が弱くなってしまいます。
この原因は、日本人が戦爭(zhēng)について學(xué)習(xí)する方法にあったと思います。日本人のイメージする戦爭(zhēng)とは、米國(guó)の爆撃機(jī)が日本の都市を空爆し、防空頭巾をかぶった婦女子が逃げまどう様子や、原爆によって広島?長(zhǎng)崎が壊滅するといった場(chǎng)面が多いように思われます。學(xué)校教育でもメディアでもそのような取り上げ方が一般的です。
日本人は、戦爭(zhēng)の被害者という意識(shí)を強(qiáng)く持っています。ですから、日本人が再び犠牲になるような戦爭(zhēng)はもう二度としないと決意しています。しかし、加害者としての國(guó)民意識(shí)は形成されていないため、日本が戦った相手側(cè)の被害や、加害者としての責(zé)任にまでは考えが及んでいません。ここに、戦後60年間の平和教育?平和運(yùn)動(dòng)の限界があります。
日本人の被害を語(yǔ)り継ぐことは大切ですが、もう一歩考えを進(jìn)め、日本人をそのような狀況に追い込んだものは何だったのかを探らなければなりません。日本人を戦爭(zhēng)に駆り立て、日本人自身にも災(zāi)厄をもたらしたもの、それは天皇制を特徴とする日本獨(dú)自の軍國(guó)主義ではなかったでしょうか。
「皇軍」の兵士は、中國(guó)をはじめとするアジア?太平洋地域の人々に筆舌に盡くしがたい行為を數(shù)多く犯しました。彼らの心と頭脳は軍國(guó)主義思想によって支配されていました。また彼らの母國(guó)日本も、軍國(guó)主義を推し進(jìn)めた結(jié)果、焦土と化してしまいました。日本人と中國(guó)人は、歴史認(rèn)識(shí)を巡って爭(zhēng)うのではなく、日本軍國(guó)主義を克服するためにともに闘っていかなければならないのです。
日本人の被害のみを強(qiáng)調(diào)するような平和教育?平和運(yùn)動(dòng)は、戦爭(zhēng)を防止する真の力とはなりえません。相手側(cè)の被害や、加害者としての責(zé)任とも向かい合い、軍國(guó)主義思想から抜け出す努力をすることこそ、一切の戦爭(zhēng)をこの世からなくす方法だと思います。
日中両國(guó)の人々は、國(guó)と國(guó)、加害者と被害者という関係を越え、軍國(guó)主義に反対する人間同士としてともに歴史を直視し、未來(lái)を築いていくべきだと思います。
投稿者:Miracle of Fushun(中學(xué)校教員、27歳)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2005年8月9日