あと1カ月余りで、中米英3カ國が日本の投降を求めた「ポツダム宣言」の発表から70周年の記念日がやってくる。この節目をひかえ、安倍首相による最近のポツダム宣言に関する発言が波紋を呼んでいる。(文:賈秀東?中國國際問題研究院特別招聘研究員)
安倍首相はまず、5月20日の國會黨首討論で、日本の侵略戦爭に対するポツダム宣言の位置付けを明確に認めることを拒否し、ポツダム宣言を「つまびらかに読んでいない」と語った。その後の6月1日の衆議院特別委員會での安全保障関連法案の審議では、當時の日本政府は「宣言を受諾し、降伏したということに盡きる」とした。さらに6月2日の內閣の答弁書では、ポツダム宣言を「首相は當然読んでいる」と発言を釈明した。
安倍首相のポツダム宣言に関する発言は二転三転し、日本政府は「火消し」に躍起になっている。歴史に向き合おうとしない安倍政権は自らを窮地に追い込みつつある。
安倍首相がポツダム宣言の全文を読んだことがあるのかを知っているのは首相本人だけだろう。だが安倍首相のポツダム宣言に対する態度は明らかである。ポツダム宣言は、「カイロ宣言」などの戦中の國際的な法的文書とともに、日本の戦後処理と戦後秩序構築の重要な土臺となってきた。日本の右翼にとっては看過できないしこりだった。ポツダム宣言などの國際文書にいかなる態度を取るかは、日本の政治勢力と政治家の侵略史に対する態度をはかる試金石と言える。ポツダム宣言の原則と精神から考えるならば、安倍首相の歴史に対する態度は不合格と言わざるを得ない。
安倍首相はこれまで、日本の侵略の歴史をはっきりと否定する言論を様々な形で繰り返してきた。國際政治上の必要があれば、はっきりとしない言葉で國際世論を欺くという策略も取る。例えば歴代の日本內閣の歴史認識問題に関する立場を全體として継承するとしながら、「侵略」「殖民」「お詫び」などのキーワードは避けている。しばらく前の訪米でも世論の圧力を受けながら、安倍首相はこのキーワードを一度も口にせず、戦後の日本が平和の道を歩んできたことだけを強調し、日本の國際貢獻を自らたたえ、自身の「積極的平和主義」を売り込むのに終始した。