魂の安らぎをくれる花と酒
日本の一般的な神社には禮拝儀式はない。布教もしなければ、技の伝承等もないが、信者はついてくる。多くの日本人は、桜の季節にここへやってきて酒を飲み、歌を歌う。年配の人々は花見の前に神殿の前で手を合わせたり頭を下げて敬意を示すが、若者たちはそれすらなく、ただ酒を飲んで楽しむだけである。
茨城県の桜の開花は東京より1~2週間遅い。桜が満開のときには、まるで空に浮かぶ赤い雲が神社の上を覆っているようにも見えるほどだ。しかし1週間足らずで、その數えきれないほどの桜の花はたった數時間のうちに暴雨のように地面や川へと散り行き、一瞬にしてその姿を消してしまう。
今年は震災に遭ったが、桜はいつものように開花し、花見客もまたいつものようにやってきた。それは、宮司の鈴木氏が最も忙しい時で、桜の木に明かりを燈したり、大騒ぎする花見客の面倒を見たりしなければならない。みんなの心には震災の影があるが、花と酒が安らぎを與えてくれる。
さくらが散れば、夏が近い。神社の桜にはまた、數えきれないほどのセミがやってくる。暑くなればなるほどセミたちの鳴き聲も大きくなり、その獨特の響きが、緑の中や人家に染み渡っていく。日本人は密集したセミの鳴き聲を「蟬しぐれ」と呼び、そこにはうるさい鳴き聲への苛立ちではなく、いくらか雨乞いの意味が含まれている。
日本の都會では、住宅の前後や道路の両脇に木を植えることは少なく、神社のある場所に行くと、突如に木や森が姿を現す。今はまだ夏本番を迎えておらず、神社に涼みに來る人はいないが、周辺の住民は、きっと神社から聞こえてくる、その雨をもたらすセミ達の鳴き聲に耳を傾けているのだろう。
?中國網日本語版(チャイナネット)? 2011年6月29日