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寒い仙臺、暖かい思い出
発信時間: 2009-12-14 | チャイナネット

仙臺は私にとって日本で一番、親しみのある都市だ。魯迅が留學した場所だということも関係があるが、それよりもここには古い友人がいる。しかし日本に來た當初、仙臺に來るつもりは全くなかった。

今年65歳になる鈴木茂男さんと知り合ったのは、2004年10月のこと。アマチュアのマラソン選手として北京國際マラソンに參加した鈴木さんは、試合後に個人的な用事があるということで旅行社に通訳を頼み、その通訳を擔當したのが當時、大學院1年だった私だ。

経験不足で通訳できないところも多かった。しかし鈴木さんは優しく勵ましてくれ、とても楽しい一日を過ごすことができた。分かれ際にはお互いに連絡先を交換したが、今回もいつものようにただの形式に過ぎないと思っていた。

しかし數日後、鈴木さんからの小包が屆いた。そして中には手紙、寫真、チョコレート、スカーフが入っていて、手紙には私の通訳に感謝し、これからはさらに努力して勉強し、両國民の交流に役立つよう勵ましてくれていた。

こうして鈴木さんと手紙のやり取りが始まった。しかし院生の2年間はあっという間に過ぎ、卒業後は住所が変わるなど、新しい住所を連絡すると鈴木さんに書いたきり連絡をしなかった。そして手紙を出さない時間が長くなると、どこから話を切り出せばいいかも分からなくなった。

今回、日本に行けるチャンスがやってきた時、鈴木さんに連絡しなければならないという思いは抑えることができず、日本に著いた翌日、鈴木さんにお詫びの手紙を添えて中國のお茶を送った。しかし鈴木さんから連絡が來るかどうかは分からなかった。

日本の郵便は本當に速い。鈴木さんはその日の夜に電話をくれ、私はその優しい聲を聞いてほっとした。そして鈴木さんは私に東京での様子を聞き、生活費が高い東京での生活を気遣ってくれた。

 

 

それから3日後、鈴木さんが栽培したという野菜や、友だちからもらったという新米が屆き、何を買っても高い東京で、食べ物を買うために思う存分お金を使うことができずいつもお腹がすいていた私にとって、これはまさに「雪中送炭」だった。

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