13日午前、三峽博物館3階の「抗戦歳月」展示室內(nèi)にある「6?5重慶防空壕大爆撃」の彫刻の前で、85歳になる日本の舊軍人塩谷保芳さんは、じっとひざまずき続けた。塩谷さん自らが參戦した中國侵略戦爭を心から懺悔し、舊日本軍が5年の長きにわたって続けた大爆撃を謝罪するためだった。そして當(dāng)時の日本空軍による大爆撃の遺物を、罪の証拠として同博物館に寄贈した。重慶晩報が報じた。
日本による中國侵略戦爭に加わった塩谷さんは、自らを歴史の罪人と考えている。1941年から1945年の間、塩谷さんの所屬した日本陸軍は、山東省、浙江省などで、中國の人民に対し、筆舌に盡くし難い罪を犯した。戦後、塩谷さんは、様々なやり方で中國の人民に謝罪したいと思い続けた。13日は、塩谷さんにとって22回目の自費での訪中だった。4年前、重慶を訪れた塩谷さんは、帰國後に「重慶大爆撃」と関わりのある當(dāng)時の遺物を探すことに同意した。三峽博物館の展示內(nèi)容をさらに充実させ、重慶の人民が當(dāng)時の歴史について、実際に目で見て理解するためだった。13日、塩谷さんは自分で集めた當(dāng)時の空軍帽や手袋、古い寫真など、歴史の罪証となる品々を、三峽博物館に寄付した。
「人民網(wǎng)日本語版」 2005年11月14日