12月14日夜 日本兵が中國人の住宅に侵入、女性を凌辱または拉致する事件が多數発生。その地域は恐慌狀態となった。きのうは、數百名の女性が金陵女子文理學院に逃げてきた。そこで、3名のアメリカ人が學院に殘って構內の3000人の女性と子どもを保護することになった。
12月15日 日本人が漢口路の中國人の家に押入り、若い妻を強姦、3名の女性を連れ去った。二人の夫が追いかけたが、兵隊たちに撃ち殺された。
安全區衛生委員會に勤める6名の街道清掃工が鼓樓の自宅で殺害された。一人が日本兵に銃剣で刺されて重傷を負った。
銃剣で刺された人が金陵大學病院に運ばれてきた。彼の報告によると、6名の中國人が日本人に安全區から連行され、下関まで弾薬を運ばされた。下関に著くと、全員が銃剣で突き刺された。彼は刺されたが幸いに死なずに助かった。
一人の男性が金陵大學病院に運び込まれた。彼が60歳になる叔父を連れて安全區に行く途中、日本兵が銃を発砲、叔父は死に、彼は負傷した。
夜、多くの日本兵が金陵大學の宿舎に侵入、その場で女性30人を強姦、ある婦人は6人に輪姦された。
12月19日 午後3時前後、一人の日本兵が金陵大學病院に侵入、マッカーロム醫師とトリマー院長が出て行くように言うと、兵隊は発砲し、弾がマッカーロム醫師の體をかすめた。
午後4時45分前後、ベーツ博士が平倉巷16號を巡回。ここの避難民は數日前に日本人に追い立てられてしまった。日本人はここを略奪したあと三階に放火。ベーツ博士は火を消そうとしたが、すでに遅く、建物は全焼してしまった。
夜6時、ベーツ博士、ジョージ?フィッチ氏、スミス博士の三人が漢口路19號金陵大學職員宿舎にかけつけると、四人の日本兵が地下室に隠れていた女性たちを強姦していた。彼らは日本兵を追い払ったあと、そこにいた女性と子ども全員を金陵大學主樓に移した。
「チャイナネット」資料