蔡氏自身も數々の緊張した場面を経験した。2004年のボアオ?アジア?フォーラムで胡錦濤主席の基調講演で同時通訳をしたときのこと。中國國際放送の日本語チャンネルで同時通訳が必要になったが、會議が始まっても手元に原稿が屆かない。重要な講演の同時通訳を原稿無しでやるのはかなりのプレッシャーで、今思い出しても、手に汗が出るという。別の通訳にはこんなこともあった。2012年5月の中日韓首脳會議(中國は國務院総理が出席)が北京で開催された。會議終了後、日本側は、胡錦濤主席が野田佳彥首相と李明博大統領と會見をするという知らせを受けたが、日本側の通訳はすでに帰國。このため日本の外務省は急遽、蔡氏に日本側の通訳としての応援を求めた。
會見時間が短かったため、3カ國は1名ずつの同時通訳しか手配されなかった。ところが會議が始まると、中國の胡錦濤主席の使うマイクの音聲がブースに屆かないというトラブルが発生。蔡氏は中國側の通訳のことを自分のことに心配して、冷や汗が出るほどだった。しかし當の中國側の通訳はあわてることなく、イヤホーンを思い切って外し、會場からの聲をたよりに最後までやり通したのである。「ブースの仕事」はスリルに満ちたものだという。突発的なことが起こるのたびに、冷靜な対応で解決する蔡氏に、業界の評判はさらに高まった。