福田康夫氏の突然の辭任で、日本は依然として安倍前首相の“短期政権”の宿命から抜け出すことができない。より重要なのは、これが日本の國內政治であっても、日本の外交関係の動きをめぐる外部の推測を引き起こすに違いないことだ。その中で最も敏感的なのは、なかなかすっきりとはいかない中日関係であろう。
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日本の國內政治では福田康夫氏の短期政権にどのような評価があったとしても、福田康夫氏が安倍晉三前首相の中日関係に対する基本的政策を続行し、自らの努力によって、中日関係の深い発展を推し進めたことは確かなことだ。福田康夫氏が第29回北京五輪大會の開幕式の貴賓席に立った時、中日関係がすでに安定期に入ったことをすべてが物語っていた。
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日本の國內政局の変動で、中日関係の安定期は一體いつまで維持することができるのか、言い換えれば、福田氏の後に控える麻生太郎氏、小池百合子氏といった立候補者が暖春を迎えた中日関係にどのように対処するかがキーポイントとなっている。立候補者の中のいかなる人物が日本の首相を引き継いでも、中日関係にとってはいずれも形式上の変化を引き起こすにすぎない。実質的に見て、現段階の中日関係が暖春といわれるのは、決して指導者個人の政策決定にかかわるものではない。2008年以降、中國は日本にとって最大の貿易パートナーとなり、対日外交に極めて大きな弾力性を見せ、中國の急速な発展および北京五輪を成功裏に開催したことは、中國の飛躍しようとする根気や自信を世界に見せた。このような狀況を背景に、日本がどのように強大な隣國と付き合うかということは、すでに長期的な戦略的課題となっており、指導者個人の政策決定を行う短期的な行為ではなく、國家戦略の必要をガイドラインとする外交路線の問題である。
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西側から見ると、福田康夫氏の在任期間中、日本外交の最大の転換は、対米と対中國の外交で等距離外交が実行されたことである。これによって、日本外交は一辺倒の傾向から抜け出し、同時に日本外交の融通性を見せるようになった。より日本の利益に合致することは、福田康夫氏によって日本が対中関係の改善でもたらされた積極的な影響を感じ取り、より多くの日本の國民が中日関係には上昇する余地や必要性があることを知り、より多くの日本の政治家が歴史論爭のほかにも中日関係には共通の話題が少なくないことを理解したことだ。
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福田康夫氏に別れを告げるのは、日本の政治のやむを得ないことだ。日本の後任の首相に対しても、われわれは変わらず中日関係のよい発展を期待している。というのは共通の利益の基礎があるからであり、中日関係の趨勢が良い方向へ向かうことは依然としてわれわれの基本的な判斷であるからだ。今後のある時期に、われわれが中日関係の歴史を振り返ったとき、福田康夫氏の姿は終始われわれの目の前に現れることだろう。
「北京週報日本語版」より2008年9月8日