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中國の40年にカメラを向け続けた日本人寫真家
発信時間: 2008-11-05 | チャイナネット

日本寫真協(xié)會の齋藤康一理事長は、日本の著名な人物寫真家だ。斎藤さんは80回以上訪中して中國各地を撮影し、この40年余りの中國の天と地がひっくり返るような巨大な変化を、レンズを通して考え、フィルムを使って記録してきた。中國の発展に話が及ぶと、齋藤さんは感無量の様子で「中國に起きた巨大な変化は、想像を遙かに超えている」と語る。「中國新聞網(wǎng)」が伝えた。

今年73歳になる高齢の齋藤さんは、小さいころ祖父に「日中両國は今戦爭をしているが、中國人は非常に優(yōu)秀な民族だ。誰であれ中國とは良い付き合いをしなければならない」と聞かされたのを覚えている。祖父の話は、幼い齋藤さんの心に色褪せぬ記憶として深く刻まれた。このため、10數(shù)年、20年後に思いがけず中國へ行く機(jī)會を得た時、當(dāng)時30歳の齋藤さんは少しも躊躇せず、カメラを手に日本を発った。

1965年當(dāng)時、中日はまだ國交を回復(fù)しておらず、日本人にとって中國は神秘的な見知らぬ土地だった。広州、武漢、上海、北京、西安、延安????。40日間、一刻も休まず各地を巡った。目にするものすべてが新鮮でならなかった。行き交う人々は人民服一色で、幼稚園生から老人まで異口同音に「祖國建設(shè)のために貢獻(xiàn)する」と話していたが、それでも當(dāng)時の中國は齋藤さんに、清廉で公正な、純真で美しい印象を殘した。齋藤さんはこの想い出を?qū)懻婕?965年中國」にまとめ、永久に殘した。

齋藤さんが再び中國の地を踏んだのは、すでに改革開放の時期だった。上海の街中のファッショナブルな青年、バレエ學(xué)校の少女、忙しく働く私営企業(yè)の従業(yè)員、二胡を弾き京劇を歌う北京の老人????。齋藤さんは転換期にある中國の心揺さぶる瞬間を、レンズを通して急いで記録した。帰國後に相次いで出版した寫真集「上海'92~93」「北京'95~96」は、日本で幅広く注目された。

寫真を前に齋藤さんは「中國は日々発展している。その巨大な変化の程度は、私の想像を遙かに超えている」と感嘆する。中國の1つ1つの素晴らしい場所、1つ1つの改革を見逃さぬよう、齋藤さんは中日間を80回以上往復(fù)しており、その足跡はほぼ中國全土に及ぶ。齋藤さんが最も好きな中國の都市はやはり北京だ。他の大都市ではすでに見るのが難しい、純樸な気風(fēng)と厚い人情がまだ殘っているからだ。

齋藤さんは「多くの人が私に抱く印象は『中國』です」と笑う。しばらく齋藤さんの姿を見なかった友人は、再會時には必ず「また中國に行ってたんでしょう?」と尋ねてくる。齋藤さんは日本人が自分の寫真を見て中國を理解することで、両國間の相互理解が促進(jìn)されることを望んでいる。「私にとって中國を撮影することは楽しみであると同時に、生涯の事業(yè)でもあります」と、齋藤さんは自身の中國への思い入れを解釈する。

「人民網(wǎng)日本語版」2008年11月5日

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