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小林さゆりさん:あこがれの「快板」に挑戦! |
発信時(shí)間: 2009-02-21 | チャイナネット |
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弟子入りした當(dāng)日、そんなマイ快板を持參したところ、于先生に「ふんっ」と鼻で笑われてしまったのです! 先生の快板は、同じ竹製といえどもつやつやと光り輝き、たっぷりの朱色のふさが結(jié)ばれたものでした。 おまけに「チャッ、チャッ」という軽やかな音を出す金屬部分は、私のはキカイの部品みたいなものですが、先生のはホンモノの清代の銅銭。これでは、笑われてしまうのも當(dāng)然です。聞けば、通のみなさんは、骨董市場(chǎng)の潘家園で高価な品を手に入れるのだそうですが、私はそこからして大いなる無(wú)知を露呈してしまったというわけです。 心優(yōu)しい先生は、半ばあきれながらも、メンツを立ててくれました。 「私が快板を始めたころは、自分で作ったものだった。師匠の快板の寸法をこっそり測(cè)って、竹を削って、穴を開(kāi)けて……。しゃおりんのよりも、ひどかったよ。まあ、最初はそれで一生懸命、練習(xí)することです」 左手に5枚の竹板が連なった「節(jié)子」(ジエズ)を、右手に大きな2枚の板をつなげた「大板」(ターパン)を持ち、先生の教えのとおりに動(dòng)かしてみるのですが、まったくうまくいきません。 焦れば焦るほど、負(fù)のサイクルにはまってしまい……。音は出ないわ、口は回らないわで、できの悪い生徒のために散々なレッスンとなってしまいました。それでも、私にとっては長(zhǎng)年の念願(yuàn)がかなった至福のときだったのです。 つづいて席を移しての講義では、快板のイロハについて教わることに。快板は、相聲の基本功(基礎(chǔ))であること。快板にも相聲同様、清代からの約200年の歴史があること。女性の快板師もいるが、人數(shù)は少ないことなどなど。興味深い話ばかりです。 竹板の持ち方だけはなんとか理解したつもりですが、先生のように力強(qiáng)く、軽快な音が出せるようになるまで、どのくらいかかることでしょう。先生がひとたび快板を打ち鳴らそうものなら、勇ましい武將の姿やとうとうたる大河の流れが目に浮かぶようでした。小さな部屋はステージとなり、大舞臺(tái)となり、千軍萬(wàn)馬の戦場(chǎng)となりました。すっかり弟子ではなく、観客と化した私は「好!」(ハオ、いいぞ)といって、やんやの喝采を送るばかりでした。 先生のような講談はムリとしても、早口言葉ならいつかはマスターしたい。ふたたび闘志を燃やしはじめた私に、先生はアッサリと言い放ちました。 「ああ、しゃおりん、最初は騒音で近所迷惑になるから、自宅では練習(xí)しないで。どこか人のいないところを探しなさい。君のレベルだと、公園も難しいな……」 ええっ? 近所にある公園、世界遺産の天壇公園で練習(xí)しようかと思ったんだけど、そのレベルにも達(dá)していない。こうなったら、橋の下か?? そして、とどめの一言はコレでした。 「次に會(huì)うとき、まったく進(jìn)歩がなかったら、見(jiàn)込みはないと思っているからね」 ヒエ~~~!! 厳しきかな、中國(guó)の師弟関係。1日弟子入りの後、いまだにベストポイントを探しつづけて、練習(xí)もままならない私でした。
小林さゆり (こばやし?さゆり) フリーランスライター、翻訳者。長(zhǎng)野県生まれ。大學(xué)卒業(yè)後、日中友好協(xié)會(huì)全國(guó)本部(東京?神田、現(xiàn)在は社団法人)に勤務(wù)し、機(jī)関紙『日本と中國(guó)』の編集を擔(dān)當(dāng)。2000年9月から5年間、中國(guó)國(guó)営の『人民中國(guó)』雑誌社に日本人文教専家として勤めたのち、フリーランスに。北京を拠點(diǎn)に、中國(guó)の社會(huì)や文化、暮らしなどについて、日本の各種メディアに執(zhí)筆している。 ?人民中國(guó)インターネット版?より2009年2月21日 |
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