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中國人作家の訪日記⑥日本人のDNAに中國的要素 |
発信時(shí)間: 2009-05-31 | チャイナネット |
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資源に恵まれない島國が築いた驚異的な富
司馬遼太郎さんの舊居を出てから1時(shí)間ほどで、周囲を海に囲まれた関西空港に著いた。関西空港は海を埋め立てて建設(shè)された。空港ターミナルビルの足元まである大きな窓からは、飛行機(jī)、滑走路、海、空港と対岸を結(jié)ぶ連絡(luò)橋、対岸の建物や山々が望め、視界を遮られずに遠(yuǎn)くまで見渡すことができた。
日本は資源に恵まれない島國であるが、世界第2位となる驚異的な富を築き上げた。
現(xiàn)在の日本では、モダンと伝統(tǒng)、都市と自然、政府と國民という対立する概念が調(diào)和して存在している。日本の街で軍人や軍用車を見かけることはなく、私服の「城管(治安維持要員)」はもちろん、パトカーや警察もめったに目にしなかった。また、ゴミが散らかり、広告があちこちに貼られ、スローガンが掲げられるといった光景も見られなかった。だが、夜になると東京では、數(shù)十人の浮浪者が勝手に地下鉄駅の通路にダンボールで仮の寢床を作り、まるで自宅の裏庭で寛いでいるように見えた。國會(huì)議事堂の斜め向かいの場所では、數(shù)十人が道に沿って1列に並び、建設(shè)現(xiàn)場に向かってハンドスピーカーで聲を張り上げ抗議活動(dòng)をしていた。數(shù)十メートル離れた國會(huì)議事堂の門周辺はいつもと変わらず平穏で、特別警戒措置をとる様子もなかった。
日本は歴史的にも現(xiàn)実的にも中國と根源的に深く結(jié)びついた國で、中國の文化と制度を発展の道標(biāo)としていた時(shí)期もあった。橋本內(nèi)閣と小泉內(nèi)閣で首相補(bǔ)佐官を務(wù)めた岡本行夫さんは「歴史および文化面から見て、日本人のDNAには中國的要素が含まれている」と述べていた。
だが、近代以降、こうした中國と日本の関係に大きな変化が起こった。日本は中國が現(xiàn)代西洋思想と文化を?qū)Wぶ上でよいお手本となる一方で、中國の最大の敵および加害者となった。1979年以降、日本は中國の戦爭賠償請求放棄に対する補(bǔ)償として経済援助を行い、中國にとって最大の経済援助國となった。2006年以降、中國は日本にとって最大の貿(mào)易相手國となっている。ただし、殘念なことに、両國の人々の間には依然として戦爭が殘した心の傷跡が存在し、大きな溝となっている。だが、この溝が永遠(yuǎn)に私たちの心の奧深いところに橫たわり続けることはないだろう。(連載完) ?チャイナネット? 2009年5月30日 |
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