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中國の大地に寄せる想い――水墨畫家?杉谷隆志氏
発信時間: 2009-06-17 | チャイナネット

「私の先生は大自然です。わたしたちは大自然を観察する中からのみ蕓術を手にすることができます。私はいつも自分は『無方法の畫家』であると言っていますが、いわゆる無方法とは、過度に技法に拘った作畫でなく、主観的な意識によって絵を描き、題材によって筆墨を変えて構わないということです。いつも方法を模索していますから、いつも未完成だと感じる狀態にあるわけです。私は畫家ではなく、文人になりたいと思っているのです。」

 

杉谷隆志氏の水墨畫の寫生作品はその一幅一幅が寫実的な內容を表現しており、また文人の息づかいに満ちた作品であり、中國の文化と大自然に対する崇敬の念と愛情が染み込んでいる。

 

8年前、杉谷隆志氏は高血圧から脳血栓癥を患い、行動と言語表現能力に障害が出たため、もう中國には行けなくなるかもしれないと仰っていたが、身體の狀態が少し回復すると、また學生や仲間を連れて中國へ寫生に來られた。彼が自らの年齢や行動の不便を顧みずに畫板を背負い、ふらつく足取りで寫生の道を歩いている時、ある人が「中國はそんなにおもしろいですか」と聞くと、杉谷氏は次のように答えた。「1970年代から中國旅行ができるようになり、中國に行き始めると、中國の山河や歴史文化は本當に魅力的で、寫生の旅はすでに70回を超えてしまった。なにしろどこを歩いても三國志や水滸伝、また有名な歴史的人物や故事に觸れられ、唐宋代の詩文にも出會える。広大な辺境ほど面白い。少數民族の部落を訪ねるのも楽しく、日本の昔を思い出させる素樸さが一杯ある。こうした風俗はどれも絵の素材になる。中國の山河は規模も壯大で野性的なので、実際に行ってそれらを描く気を起こさせるのに十分だ。」

 

水墨畫蕓術を振興させるために杉谷隆志氏はまた中國各地の書畫蕓術界と連攜して蕓術交流を展開し、水墨畫蕓術の発展方向を探求し、水墨畫蕓術の技法を切磋琢磨し、更に北京、上海、東京で「杉谷隆志中國百景畫展」を開催し、中日両國の文化交流を増進し、『中國山水畫の技法』、『水墨畫レッスンブック』、『趣味の墨絵超入門』、『水墨畫自習帖』、『水墨畫で辿る中國』などの本を著した。さらに、毎年4月には東京の朝日生命美術館と銀座のセントラル美術館で年に一度の「炭火展」と「墨美展」を開催して、中日両國の水墨畫蕓術愛好者の蕓術成果を展示し、交流會を行い、水墨畫蕓術を普及して中國の文化と水墨畫を紹介してきた。

 

杉谷隆志氏は日本での募金を通して、上海、北京、桂林、長沙、臺灣などの地に何度も出資して中國の書畫蕓術界と共同で友好交流展を開催してきたが、その目的と意義は彼が毎回の友好交流展の挨拶の中で訴えている次の言葉に表現されている。「日本と中國の友好往來は、すでに1500年以上に及びます。それぞれ異國に骨を埋めた先覚者の阿部仲麻呂と鑑真、留學の成果を日本で見事に実らせた空海と雪舟、そのほか多數の先人の努力によって、日中の交流の歴史は築かれました。中でも書畫蕓術は日中両國が共有する世界に誇る素晴らしい文化です。21世紀を水墨畫の時代に変え、書畫蕓術という平和の翼を世界に広げていきたいと考えています。」

 

今回の畫展は、杉谷隆志氏が三十數年來、中日文化交流に熱心に従事してきたことと彼の人生に対する総括、回顧であり、中日両國の末永い友好的な付き合いを期待する願いを満足させようとしたものである。昨年、彼は、自分はもう引退すべきだと話したが、今年、彼はやはり自らの高齢を顧みずに今度の個展を積極的に準備した。個展に展示される40點の作品は杉谷隆志氏の無數にある中國寫生作品の中のほんの一部分である。彼は寫実の手法で當世中國人の調和的な生活の様子と大自然の景色を表現した。さらに中國の伝統文化に対する彼の敬慕の念や水墨畫蕓術が西洋畫のように世界の人々の心に浸透するようにとの願望を表現したものである。

 

「北京週報日本語版?より 2009年6月17日

 

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