大江氏はこの新著の中にも、アナベル?リイと同様の美しい少女を登場させています。彼女は「永遠の処女」と言われるヒロインの「サクラ」です。第二次世界大戦で幼くして孤児となったサクラは、占領軍の米國人將校に引き取られ、子役スターからハリウッドで活躍する國際的な女優へと成長します。そのサクラと小説家「私」、大學時代の友人である映畫プロデューサー木守で、小説「ミヒャエル?コールハースの運命」を、「私」の故郷四國で実際に起きた百姓一揆に置き換えた映畫を撮ろうという話が持ち上がります。映畫制作を通して性的トラウマを抱えたサクラが、森の中の女たちの協力で絶望の中から希望を見出し、人間としての「生」を回復していく姿が描かれています。最後はくだりはこうです。
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中國社會科學院日本研究所で行われた大江氏を囲んでの座談會 |
「ビィデオ?カメラは、紅葉の色濃く照り映える林に囲まれた、女たちの群集に分け入る。サクラさんの嘆きと怒りの『口説き』は高まって、囃しに呼応する人々は波をなして揺れる。その聲と動きの頂點で、沈黙と靜止が來る。『小さなアリア』がしっかりそこを満たすなかに、サクラさんの叫び聲が起こり、音のないコダマとして、スクリーンに星が輝く……」 (出典:『﨟たしアナベル?リイ』218頁、新潮社、2007年刊)
私は、作品の結びの言葉「星が輝く」が、キーポイントになっていると考えます。この言葉は、『神曲』の「地獄編」「煉獄編」および「天國編」との各巻の最後の末節stella (星)という言葉を連想させます。『神曲』の中國語翻訳者、田徳望教授は、こう解説しています。
「地獄とは、苦痛と絶望の境界であって、色彩は暗く、濃淡は不均等である。煉獄は平穏と希望の境界であり、柔らかですがすがしい色彩である。天國は幸福と喜びの境界であり、輝かしい色彩である」(出典:『神曲』「地獄編」21頁、人民文學出版社、2002年刊)
このことから、サクラは絶望の中にありながらも希望を抱き続け、倦まずたゆまず努力し、ついには四國の森の女たちに助けられ、星がきらめく至福の天國にたどり著いたと言えるでしょう。言い換えれば、大江氏とヒロインのサクラは、ともに魯迅の「窓がひとつもなく、壊すことも絶対にできない」絶望的な「鉄の部屋」を壊すことが可能だと確信し、そして「希望は抹殺できない」と確信しました。
大江氏がこの小説を書かれる數カ月前の2006年9月、北京の中國社會科學院での講演會で次のような魯迅の文を引用されたことがあります。
「希望は生存に付屬するものであって、生存があれば希望があり、希望があれば光明があります。―中略―私たちが暗黒のお伴をすることなく、光明のために滅亡するのであれば、私たちにはかならず悠久の將來があり、光明の將來があります。」(出典:『大江健三郎文學研究』9頁、百花文蕓出版社、2008年刊)
私はこの部分が、大江氏の語る「思いがけないような特質が現れている」を指しているかと思います。
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