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日本観察記(6) 中國の魚は馬である |
発信時間: 2010-01-31 | チャイナネット |
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文=薩蘇 去年、北京で數(shù)カ月過ごしたのち、日本に戻り、「何か、戀しくなったものはあった?」と妻に聞かれたことがあった。 「もちろんさ、日夜、戀焦がれたよ」と私。 「それは何?」と妻。 「日本の魚、新鮮な魚だよ!今日の晝食は家で作らず、クラ壽司に刺身を食べにいかないか??????」ここまで言いかけた時、妻の顔色が変わったのに気づいた。 彼女にしてみれば、戀しくなったのは自分に違いないと思い込んでいたのに、夫が日夜想っていたのは、日本の新鮮な魚だったのだ。私がこんなヘマをしてしまったため、食材の買出しを擔(dān)當(dāng)する妻は丸々一週間も、憎むべき──魚、を買おうともしなかった。 日本の新鮮な海魚は、羨望に値するものである。北京は世界的な大都會とはいえ、中國最大の漁場、浙江省の舟山漁場までの距離は、東京―大阪間をはるかに超えている。ゆえにここでも魚は買えるが、鮮度は日本のそれと、比べものにならない。総じて魚は、新鮮であるほど旨い。食を重視する中國人の一員として、日本の魚の印象は強(qiáng)烈である──もちろん、それを妻より先に挙げてしまったのは、間違いなのだが。 日本に到著したばかりのころ、友達(dá)が湯のみをくれたことがあった。表面には各種の魚の名前がある。例えば、鯵、鯛、鮎、鯖、鰤、鮃、鮭など、數(shù)十種類もあり、私は驚いてしまった。実際のところ、こうした漢字の大部分は『新華字典』にあるのだが、中國人である私は、その多くが読めない。 日本人は、辭書にある変わった漢字をみせ、當(dāng)てさせるつもりなのだろうか?聞いてみるとそれは違い、多くの日本人はその大部分をスラスラと読みあげ、しかもこの字の魚はどんなもので、食べ方はこう、と嬉々として語る。例えば鯛は正月に食べるのだとか、鮎は串焼きにして、表面に塩をふると抜群だ、など。 最初は、こんなウンチクを語る日本の友人を?qū)Wのある人だと思っていたのだが、あとから気づいたのは、彼が別の漢字については、しょっちゅう読み間違いをしていることだった。ある別の友人は「日本人は古代から魚を食べる民族で、日本料理の半分は魚と関係がある。だから當(dāng)然、魚の種類には敏感になる。中國には、魚ヘンの漢字はこんなに多くないだろう?」 當(dāng)時の私は、その意見にあわせたのだが、心の內(nèi)では、何か、違うのではと思っていた。けれど、それがどう間違いなのかは、はっきりとは分からなかった。 北京に戻り、市場の門を通りかかり、「胖頭魚」(パン?トウ?ユィ)と中國語で呼ばれる魚を見かけたとたん、「胖頭魚」の正式な名前は「鱅」なのだと分かった。中國語の漢字のなかにも魚ヘンの文字は多いのだが、日本で使われているものと違うだけである。例えば、「鰱」、「鯽」、「鰣」、「鱅」などは、淡水魚の名前で中國ではよく見かけるものだが、日本人が見たら、読み方が分からないのではないだろうか。 日本人は魚を沢山食べるが、海の近くに暮らすので、たっぷりの海魚があり、「鯉」以外の淡水魚はほとんど食べない。対して中國人は淡水魚を良く食べるが、みなが海魚を食べられるわけではない。ゆえに雙方が使う漢字のなかに、魚ヘンの文字は多いのだが、同じもの、というわけではない。これは島國と大陸の違いでもあるだろう。 ある日、北京大學(xué)の教授とお會いしたことがある。日本の魚の美味しさに話しが及ぶと、教授は笑いながら「ほんとうは、古代中國では、魚は一つの意味しかなく、それは馬の名前だったのですよ」 初耳である。私は半信半疑になった。 教授は?約2000年前?漢代に編纂された『説文解字』のあるページを私に見せてくれた?そこには??馬一目白曰□(注1)?二目白曰魚」とある。現(xiàn)代中國語で解釈すると「片眼の周囲が白毛の馬は□と稱され、両眼の周囲が白毛の馬は魚と稱される」「それなら、もし古代の中國人が、家に魚の群れがいる、と言ったら、それは、両眼のまわりが白毛の馬の群れがいる、ということですか?」この部分を読み終えた私は、驚いて教授に尋ねた。 「そのように解釈できますね」と教授。 面白い話として友達(dá)に語ってやろう。私は思ったが、ただし、よく見ると悩ましいことに「□」の読み方が分からない。他人にこの話をする時、「□」を読み間違えたら、みっともないではないか。 すぐ教授に教えを請うと、彼は、心配は要りません、と言う。當(dāng)時の人々が馬を形容する字は百近くもあり、前足が白い馬は「騱」と呼ばれ、ベージュと白が混じる馬は「駓」と呼ばれ、尾の付け根が白い馬は「騴」、尾が真っ白なものは「駺」、けれど、このような字をどう読むのか、頭をひねる必要はないですよ、いまこれらの字を使う人はいませんから、と教授。 馬に対して、古代の中國人は、どうしてまた種類をこれほど複雑にしたのだろう? 教授は、これこそ中國と日本の違いなのです、と言う。中國は大陸國家なので、魚の品種に関して、日本ほど決まりがいろいろとあるわけがない。私は若いころ市場にいって魚を買い、すべて醤油煮込みにしていましたが、その種類が何であるか、気にもしませんでした。けれど、大陸國家として、古代中國人は、出かける時には馬が頼り、戦爭も馬が頼り、時には食物や飲料も馬から生み出され、當(dāng)然、馬を重視した。日本人が魚に対するより、さらに重視していたのです。だから、數(shù)多くの馬の種類の違いを表す字があるのです。今日、馬は重要でなくなり、多くの字は忘れられたのです。 ならば、いつごろまで、尾の付け根が白い馬と、尾が真っ白な馬が區(qū)別されていたのでしょうか?私が聞くと、教授はレクサスをご覧なさい、という。LS600hとISはどういう違いなのでしょう?一方は日本國の首相のもの、一方は我が家のものです??????。 古代の馬は、なんと今日のクルマであったのだ。私は悟った。 ?人民中國インターネット版?より 2010年1月31日 |
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