巖田さん
ひざまずいて謝罪する巖田さん
これはとても長(zhǎng)い旅だ。日本人僧侶の巖田隆造さんは、自分は參加していない戦爭(zhēng)のために、日本が侵略したアジアの國(guó)で15年にわたって謝罪してきた。病を患い貧しくのけ者にされてきた74歳の巖田さん。しばしば一歩も歩けないような気がするが、人生の終りまで歩き続けてたいと巖田さんは願(yuàn)っている。
巖田さんが中國(guó)に謝罪に來(lái)たのは今回で3回目。前回の2回は2005年と2006年で、ハルビン、長(zhǎng)春、北京、天津、洛陽(yáng)、青島、南京、武漢、重慶などの日本軍が犯罪行為を重ねた都市で謝罪を繰り返した。
巖田さんが來(lái)るのは憎しみ継続させるためではない。それとは逆で、仏教の力を拠り所に戦爭(zhēng)で亡くなった霊を慰め、謝罪という方法で中日両國(guó)の歴史に橫たわる傷を補(bǔ)いたいと思っている。
中國(guó)を初めて訪れたには2005年。その前に巖田さんは、韓國(guó)やフィリピンに行って謝罪したが、中國(guó)でのこのような苦行僧のような旅を支持する人はほとんどいなかった。
毎回、何日も続く謝罪の「儀式」で巖田さんは、少しの果物とアメしか口にしない。そのような斷食のような狀態(tài)は、74歳の巖田さんにとってかなり危険な行為である。しかし日本の文化では満腹の人は霊魂と意思疎通できないため、「絶食は私の誠(chéng)意を表している」と巖田さんは言う。
しかし日本でこうした誠(chéng)意はなかなか理解されない。巖田さんの家族は反対し、7人の兄弟も彼の理想を理解せず、寺で巖田さんの言葉に耳を傾ける人はほとんどいない。
3日の絶食で謝罪したあと、巖田さんは急いで中日友好協(xié)會(huì)と中國(guó)政府の関係部門(mén)へ手紙を出した。「中國(guó)政府からお金や何か物をもらいたいわけではなく、ただ中日平和賞の賞狀を出して欲しいだけだ。中國(guó)の人に私の謝罪を認(rèn)めて欲しい。もし賞を授與してくれれば、それは私のこうした行為が肯定されたことになり、中國(guó)へ謝罪に來(lái)る日本人も多くなるかもしれない」
?チャイナネット? 2010年6月2日
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