阪神淡路大震災--。崩壊した街を前に、誰もが自分の目を疑った。そして、これまでの人生を振り返り、このままでいいのだろうかという思いに駆られる。
大手保険會社に総合職で就職し、順風満帆だった松村さんは、その翌年、中國へ飛ぶ。北京外國語大學で日本語を教えつつ、中國語を?qū)Wび、向?qū)W心からさらに上を目指し、シンガポールで中國人留學生とともに切磋琢磨し合いながらMBAを取得する。そこで生涯の伴侶と出會い、結(jié)婚。上海へ移り住んで今年でちょうど10年になる。
中國全土をまたにかけ、人材コンサルタントとして、セミナーで講師を務めたり、中日合弁會社の人事コンサルを手掛けてきた松村さんに、中國に來るきっかけとなった大地震のことや、シンガポールでの留學生活、経験を生かしてこれからやっていきたいというコーチングについて伺った。
もともと日本でお勤めされていたそうですが、どうして中國へ來ようと?
実家が95年の阪神大震災に遭って、自分の人生を変えることになりました。テレビをつけたら実家の隣の敷地が映っていて、被害が2番目くらいにひどかったようです。家はかろうじて殘っていたんですが、周りはもうグチャグチャでした。當時東京で働いていたんですが、駆けつけた時には、神戸の途中までで電車は停まっていて、食べ物と水と薬を入れたリュックを背負って1時間くらい歩いて家に帰りました。車なんて通れないくらい道はボコボコで、どこもかしこも瓦礫の山、それに火事が続いていて、みんな體育館に避難していました。いろんな意味ですごいショックを受けました。母と父は幸い命は助かったんですが、母はタンスがひっくり返って腰を傷めていました。家の斜め前にあった馴染みの薬局屋さん一家は亡くなり、近所のマンションも全焼していました。これはなんだろうって、人生最大の衝撃でしたね。街は10年くらいかかって再建され、まったく違う街に生まれ変わりました。