重慶市委員會黨校は10日、學校教育に関わる文學?歴史専門家および部門を率いて歌楽山林園などの地に赴き、戦史や遺跡保護の狀況を考察した。同日行われた座談會において、中國抗日戦爭歴史博物館の建設計畫が実質的進展を収め、関連部門は28億元以上を投入、全市に數百か所ある抗日戦爭遺跡の統一的?系統的な保護を実現させる計畫であることが明らかになった。「重慶晩報」が伝えた。
歌楽山のふもとに到著した専門家チームは、林園に直行した。多數の風雲児が抗日戦爭期、この地に集まった。首脳級人物だけでも、林森、蔣介石、蔣経國、毛沢東、李宗仁の5人の名が挙げられる。専門家が「中國第一のダンスホール」と稱する「美齢舞庁」は、1939年に建造された。もともと、蔣介石や林森が外國からの賓客に接見する場所であったこのホールは、後に「官邸大客間」と名前が変わり、それからダンスホールとなった。幾度か補修されたが、建物は危険な狀態となり、閉鎖に至った。
歌楽山林園で起こった重大事件、あるいは事件の発端となった事例は、枚挙にいとまがない。なかでも、歴史的に貴重な文化財は、「中國第一の卓」と呼ばれるテーブルで、毛沢東と蔣介石がこのテーブルを囲み、かの有名な「重慶談判」を行った。テーブル、その周囲の狀況、建物は當時のまま殘されている。
抗日戦爭に勝利した後、蔣介石は重慶で交渉したいと3度にわたり毛沢東に電報を送った。1945年8月28日、毛沢東は重慶に到著、林園に入った。翌朝、林園を散歩していた毛沢東は、朝霧の中で蔣介石と偶然出會った。2人は石製の円卓の前に腰かけ、話し合いを始めた。その時の円卓は、文化大革命など幾度かの動亂で行方不明となったという。現在は、複製の円卓がもともとの場所に置かれている。
「中國第一のダンスホール」と「中國第一の卓」はいずれも、抗日戦爭歴史博物館に展示される計畫という。
このほか、歌楽山洞穴トンネルは、四川で古い時代に建造された初の公道トンネル。また、長さ百メートルにおよぶ老鷹巖の陸橋は、全國初の立體交差橋という。
この橋はすでに文化財保護の対象となっている。抗日戦爭博物館が完成すると、老鷹巖陸橋は、重要文化財および観光名所として、國內外に紹介される。
「人民網日本語版」2010年9月13日