4月13日、仙臺空港は運航を再開したが、救援活動に攜わっていた米軍第353特殊行動戦闘部隊の數十人の隊員と仙臺空港の瓦礫除去作業を行なっていたほかの海兵隊員も現場に駆けつけて、お祝いをすることはしなかった。彼らは、「米軍の活躍ぶりが、主役である日本より目立ちすぎてしまう事を恐れて」、現場を離れたのだ。
この行動は、米軍が日本で懸命に保ってきた「バランス」の象徴である。それは決して、世界に対し自分たちの救援活動の規模の大きさを自慢することが恥ずかしいのではなく、日本が「プライドの高い」國だからである。第二次世界大戦後に日本を占領し、自衛隊の創設を支援した米國に対して、日本の人々はとても敏感である。そのため、救援活動を行う指揮官はいつも慎重な姿勢で、「彼らの役目はただ支援することだ」と強調していた。たとえ、「仙臺空港の修復に重要な役割を果たしていたとしても」だ。
「中國網日本語版(チャイナネット)」2011年4月14日