1つ噓をつくと、それを隠すためにもう1つ別の噓が必要になるとよく言われる。噓をつけば、追及を受ける中で悪循環に陥るのがおちだ。福島第1原発事故において日本は、する事なす事が、すでに噓の循環に陥っている。人民日報海外版が伝えた。
香港メディアによると、早くも事故発生當初、冷卻系統故障の発表を受けて米國が空軍による冷卻剤の緊急輸送を申し入れたが、日本側は事故はまだ深刻でないとして遠回しに斷り、これが爆発につながった。
一部の學者は早くから事故の深刻性を指摘していたが、日本政府は過小評価的な処理を続けた。事故評価を4から7に引き上げるまでに、なんと1カ月もかかっている。
東京電力は、通常の1000萬倍という極めて高濃度の放射性物質の検出を発表した後、數字に誤りがあったとして10萬倍に訂正した。一流の原発技術を持つ企業が100倍もの誤りを犯すなど、いかにも下手な芝居を演じたものである。
1萬トンもの放射性汚水を太平洋に放出しておきながら、なんと北東アジア地域の隣國には事前通知せず、米國に聲をかけただけだった。隣國に対する日本の情報隠蔽は道徳的にも外交的にも受け入れられないレベルに達している。さらには事前通知していたとまで言い出すありさまだ。
様々な形跡は、日本が國際社會に何を隠していたのかを示している。ネットでは、背後には核兵器の秘密開発という驚くべき日本の陰謀があるとの推測も流れている。その正否はさしあたって論じないが、日本は噓の循環に陥っている。
噓に噓を重ねれば、何かしらぼろがでるものだ。ニクソン元米大統領のウォーターゲート事件に関する本を先日読んだ。當初は野黨の選挙狀況の盜聴を試みたのだが、これが発覚するとなんとしてでもぼろを隠そうと噓に噓を重ね、最後は自らの前途を葬り去る結果となった。ただニクソンの尊敬できる點は、最終的には自らの過ちを認め、真相を明らかにして、人々から敬意を勝ち取った點だ。
一方、日本はまだ隠蔽を続けている。こうした集団的噓はトヨタやホンダの事件(製品の欠陥の隠蔽)でも見られた。そして今、國際社會に対する政府の約束においてもこれが「華々しく登場」している。意外なことに、日本はこの集団的噓の結果として、自らが戦後數十年かけてようやく築いた國家イメージががた落ちし、政府の信頼性に大きな疑問が投げかけられることに気づいていないのだ。
「人民網日本語版」2011年4月26日