10日、全く思いがけなかったことだが、鐘さんの攜帯電話に日本からのショートメッセージが入った。殘念なことに、彼女の攜帯電話は日本語がサポートされていなかったため、何が書いてあるのか分からなかった。鐘さんはその後、日本語の電子メールも受け取った。日本語が分からない彼女は少しやきもきした。メールの內容は不明だったが、宮城県塩釜市立第三中學の杉浦和彥先生に英語でメールの返事を送り、メールのお禮を述べるとともに、帰路の様子を尋ねた。
鐘さんからの返信を受け取った杉浦先生はすぐに、英語でまた返事を送った。杉浦先生の2回目のメールでは、鐘さんのことを中國語で「小鐘家楽」と親しみを込めて呼びかけていた。また、メールの最後には、中國語で、「工作順利(勉強が順調に進みますように)」と書かれていた。また、杉浦先生の英文メッセージには、「7日午後4時10分、仙臺に帰ってきました。今回の旅は、やや長い期間で、少し疲れましたが、海南島への旅は私にとってこの上なく楽しい思い出となりました。特に、鐘さんはじめ中國の生徒さん達との交流や到著時に空港で行われた歓迎式は、絶対忘れられない楽しいひと時でした」と書かれていた。
鐘さんは10日午前、杉浦先生から最初に屆いた日本語メールを省外事弁公室で翻訳の仕事をしている人に持込み、翻訳を手伝ってもらった。このメールには、鐘さんや同級生達が熱烈に歓迎してくれたことに対するお禮と、チャンスがあれば必ずまた海南島を訪れたいと書かれていた。鐘さんは、もっと多くの日本の子供達が中國の友人と仲良くなり、お互いの交流やコミュニケーションの機會が増えることを切に願っている。
「人民網日本語版」2011年8月11日