「材料がなければ、生産はできません。大型のクレーン設備がなければ、工房は修理できません。地震で交通は停滯し、交通の停滯でガスや石油の供給はひっ迫しました。工房自體もわたしたちで修理できるところは修理しました。けれど、いずれにしろ、大型設備がなければ、わたしたちの能力にも限界があります」。及川社長はしかたないといった表情を見せた。
納期どおり顧客に製品を屆ける、それができれば至上最高だ。「納品しなければならない、地震が起きたからといって納期を遅らせることはできません」。及川社長は手持ちの製品の數を調べ、すぐに運送會社を探して輸送してもらった。同時に、できるだけ自分たちの手で工房を応急修理した。「地震発生から17日目の3月28日、電爐が再び運転を開始し、生産が再開されました」。親しい人の誕生日を語るかのように、生産再開の日を覚えていた。
およそ1千年前、京都から巖手県の丘陵地を訪れた工匠が、上質の砂鉄を発見、すぐにここで様々な生活用品を鋳造した。上質の砂鉄がある日本のほかの地では、多くが日本刀の生産で有名だ。ここではむしろ過去千年の間、鉄壺や鉄鍋といった鉄器を製造する伝統が継承されてきた。
「震災後すぐに、私たちは再び鉄器を造り始めました」。及川社長は何度もこう語った。その言葉には千年の歴史のある鉄器を造り続けていく決心が込められている。そこには強い誇りもある。
?中國網日本語版(チャイナネット)? 2011年8月29日