3日後、尾山さんが那智勝浦町の家に戻ると、家の中はすっかり変わり果てていた。1階に流された土砂は1メートル以上の深さに達(dá)し、家具や家電は全て影も形もなくなり、1臺(tái)の自動(dòng)車(chē)が玄関の塀の上に跨っていた。記者が訪れた際、彼女は土砂の中からまだ使える物を探しているところだった。
43歳の田中宏文さん一家はこの町で畳工場(chǎng)を経営している。4日早朝に川の堤防が決壊し、工場(chǎng)の1階部分と倉(cāng)庫(kù)が水に浸かった。損失額は2000萬(wàn)円に上ると見(jiàn)られる。田中さんは、「この辺りはよく豪雨が降るが、今回の臺(tái)風(fēng)の降水量がこれほど多いとはまったく思っていなかった」と話した。
「被害を受けた住民の間で畳の需要が高まるため、工場(chǎng)をできるだけ早く再開(kāi)させたい」と語(yǔ)る田中さんは、政府に手當(dāng)てを申請(qǐng)する準(zhǔn)備を始めたが、具體的にどれほどもらえるかはわからない。また、「今もっとも困っているのは、後片付けを手伝ってくれる人と大型機(jī)械が足りないこと」と述べ、自身が運(yùn)営する學(xué)校の生徒に手伝ってもらうことを明かした。
山奧の住民は、那智山の麓に住む住民よりもっと悲慘な狀況だ。和歌山県災(zāi)害対策本部によると、水、電気、通信が斷たれたままの孤立狀態(tài)の地區(qū)がまだいくつかある。しかもこれらの地區(qū)の住民の多くが高齢者で、非常に緊迫した狀況だという。この日、救援にあたるヘリコプターが時(shí)おり記者の上を飛び、1分1秒を爭(zhēng)って孤立した住民を救助し、救援物資を?qū)盲堡皮い俊?/p>
?中國(guó)網(wǎng)日本語(yǔ)版(チャイナネット)? 2011年9月8日