八百長(zhǎng)問(wèn)題で日本相撲協(xié)會(huì)を解雇された元幕內(nèi)力士?蒼國(guó)來(lái)を取材した。ちょうど十一月場(chǎng)所という相撲のシーズンが到來(lái)している時(shí)期ということもあって、蒼國(guó)來(lái)が所屬する荒汐部屋の親方や力士はすべて九州場(chǎng)所が開(kāi)催される福岡市に行ってしまっていた。取材に訪れた時(shí)、蒼國(guó)來(lái)が8年間寢泊まりし、稽古に明け暮れた荒汐部屋には、彼一人だけが殘されていた。
この3階建ての荒汐部屋には、蒼國(guó)來(lái)が日本で過(guò)ごした8年間がすべてつまっている。蒼國(guó)來(lái)が8年前、日本に來(lái)たばかりの頃に寫(xiě)した寫(xiě)真を出してきてくれた。寫(xiě)真の中の蒼國(guó)來(lái)はとても細(xì)く、私の目の前にいる本人とは思えなかったほどだ。昔の寫(xiě)真を眺めながら蒼國(guó)來(lái)は、この8年の苦労話(huà)をポツリポツリと語(yǔ)ってくれた。
◇親方に直談判 自己アピールで入門(mén)許可
7歳からモンゴル相撲を始めた蒼國(guó)來(lái)は12歳になると家を離れフフホト市にあるスポーツ選手養(yǎng)成校で中國(guó)レスリングを?qū)Wんだ。16歳にはフリースタイルで全國(guó)優(yōu)勝を成し遂げている。
2003年4月、蒼國(guó)來(lái)の運(yùn)命を変えた日がやって來(lái)た。荒汐部屋の親方が有望な若者をスカウトすべく遠(yuǎn)路はるばるフフホトまでやってきたのである。だが1週間ほど視察した結(jié)果、めぼしい相手には巡りあえず、何の収穫もないまま帰國(guó)準(zhǔn)備をしていた親方に、當(dāng)時(shí)19歳だった蒼國(guó)來(lái)は「日本に行きたい」とアピールしたのである。そんな蒼國(guó)來(lái)に期待を抱いた荒汐部屋の親方は、日本に帰る前に入門(mén)許可を出してくれた。
◇80キロから130キロへ増量