雲(yún)井美千子さん(29)は「何でもできる気がする」と言う。上海で數(shù)年働いた後に日本へ戻ったが「もう一度勝負したい」との思いを抱き、日系企業(yè)の営業(yè)職として今年初めに再び上海へ來た。「出る杭を打つのではなく、學ぼうとする」社會の空気が、自分を成長させると感じている。
活躍しているケースが多いが、バスに1時間揺られて郊外の団地で営業(yè)をし、地元男性に混じって10元のランチを食べ、連日會社で深夜まで報告書を書くなど、非常に苛酷な勤務環(huán)境の日本女性もいる。月給は數(shù)萬~20數(shù)萬円と日本より低いが、雲(yún)井さんは「こうした経験が將來に生きると、みな楽しんでいる」と言う。
中國での企業(yè)を望む日本女性も多いが、リスクは大きい。現(xiàn)地のパートナー選びを誤ると痛い目に遭う。だが上海でブライダル會社を立ち上げた陰山奈央子さん(34)は「失うものは何もないのに、何を恐がることがあるの?」と、こうしたリスクを楽しんでいるようだ。「1年後はどうなっているかわからない。そこが面白い」--。
「人民網(wǎng)日本語版」2012年1月15日