家の中に入ると、床に食品と紙が置いてあるのを見つけた。紙には「松村さん、お受け取りください」と書かれている。付近の住民が臨時に家に戻ることがあり、ついでに松村に食べ物を置いていくのだ。缶詰とカップラーメンが松村の主食である。
電気も完全に復舊しておらず、松村は毎晩ろうそくを燈す。彼は木炭をいくつか手に取り、暖爐にくべて暖を取った。
松村の家の中には10年前に買った29インチのテレビがある。「震災後はテレビを見ることも少なくなった。バラエティを見ても笑えなくなったから」。
松村にとって、外界との窓口は攜帯とラジオだ。この小さなラジオが外の世界を知るための主要な手段なのである。
日本政府は今年4月、警戒區域を一部解除する。松村は富岡町もその一つになってほしいと願っている。しかしどれほどの人々が帰ってくるのかは彼にも分からない。「放射能の影響を、やはりとても心配しているんだ」
「中國網日本語版(チャイナネット)」2012年3月16日
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