日本は性風俗産業が盛んな國である。かといって、浮気癥の人に対して、日本人は決して寛容ではない。
日本のニュースや情報などを紹介する中國語サイト「Record Japan」の掲載記事によると、アンケート回答者のうち34.8%が「浮気癥の人」を「信用できない」と答えている。「自分が裏切られたらと思うとゾッとする」というのがその理由だ。また、「浮気した人はいつか浮気される側になる」と19%が回答している。こうしたケースは決して珍しくない。このことから、日本では一般的に浮気癥の人は信用されていないことが分かる。
サンケイリビング新聞社が実施したアンケート調査によると、「以前に浮気していた」と回答した女性は49%に上っている。また、「現在浮気している」と回答した5.9%を加えると、日本では半數を上回る女性が浮気経験を有していることになる。また、男性で「以前に浮気していた」と回答した人は51.0%に上っている。
面白いのは、日本ではこれほど浮気経験率が高く、浮気をそれほど悪いことだと捉えていないにも関わらず、浮気癥の人を「信用できない人」と認識していることである。このことは日本人が根本的に矛盾した概念を持っていることを示している。ルース?ベネディクトの「菊と刀(The Chrysanthemum and the Sword)」では日本人について以下のように紹介している:「日本人は禮儀正しいといわれる一方、不遜で尊大であるともいわれ、固陋であると同時に新しい事物への順応性が高いともいわれる」「主君への忠誠心は厚いが、腹の中には反逆心もあり、不満や恨みを貯め込んでいる」
こうした矛盾的な概念は、すでに日本人の人生観に根付いてしまっている。日本では道徳として「忠誠」と「孝行」が非常に重んじられている。これは中國も同じであるが、日本では特に「忠誠」をより重視する傾向がある。天皇への絶対的な忠誠?敬愛は當然ながら、家族や親戚、友人にも忠誠を盡くさなければならない。日本の道徳上、「忠誠心」が至上の価値観として認識されていると言ってよいだろう。