女子高生の友子は、來歴不明のビデオテープを同級生と一緒に見た。7日後、友子とその友人が相次いで死亡した。女性記者の淺川はこの事件に注目し、その原因を探ることにした――。
「リング」は日本のホラー映畫の代表作になっているだけでなく、世界的に見てもホラー映畫の一流派の開祖となっており、あちこちで模倣されている。ならば「リング」を通じて日本文化、ひいてはアジア文化の特徴を見出すことができるかもしれない。
まず「リング」は、血生臭い暴力的な映像によって観る者に刺激を與え、恐慌に陥れるようなことはあまりない。また過度なメーキャップで演者を別人にする演出もない(貞子ですら、顔に覆われた亂れた髪と白衣のみである)。この映畫のすごいところは、細緻なプロット構成とハラハラさせる敘事手法にある。怨念を持った霊のイメージを細やかに描いているのである。
「リング」のロジカルなプロット構成を検討していると、日本人の特性と似ていることが分かってくる。古代から現代まで、日本は安心感に欠けた暮らしをしてきた。島國であることが大きな要因である。日本人が物をなすときは、ロジックを重視する傾向にある。遠回りをしながら、急がずあわてず行う。お茶をすすりながら話を進める、そんな処世術を身に付けてきた。
「リング」において、貞子はすぐに観客の心をつかむが、映畫の當初、ほとんどその顔を見せることはない。彼女は人々を恐怖に陥れ、數人の命を奪うが、それでも観客は、貞子が許しがたい悪霊であるとは斷言できない。彼女は念じることで人を殺すが、それは自分の母親を傷つけないようにするためであり、人としての感情が全くないわけではないからである。現在、多くの國のホラー映畫で複雑な性格を持ったキャラクターが描かれているが、ホラー映畫として名高い「リング」のキャラクター貞子は、間違いなく最初にその代表として挙げられるだろう。これは日本の狀況と符合している。日本の近代は戦爭と殺戮に明け暮れた。危機を経て、1970年代より再び世界舞臺に躍り出たが、人々の生活ストレスは想像を超えるものであり、複雑な人間性が表面化することになった。
次に、「リング」が大成功した原因として、生活に密著したものであることが挙げられる。幽霊話は皆、人々が作り出したものであるし、ホラー映畫は1ジャンルに過ぎない。それをどう生活に密著させるのか。よく考えれば分かるように、「リング」に出てくる怪しい鏡、テレビから出てくる貞子などは、現在でも我々の話題にのぼるところである。いわゆる不思議さに満ちたものはみな、生活の中にあるのだ。恐らくこれこそが、日本のホラー映畫が歐米のそれとは異なる部分なのかもしれない。日本のホラー映畫は、目もくらむような特撮を使うことも、趣向を凝らした異形物を創作することもない。なぜなら身の回りの何でもないものこそが、恐怖の源であり、人々の心を動かすものであるからである。これこそ日本のホラー映畫の真髄なのである。
「リング」の撮影手法からも同じことが言える。強烈な視覚的衝撃を持った場面は、貞子がテレビから出てくるところを除けば、全篇どこにも見當たらない。しかし大多數の観客は、映畫を観終わった直後は恐怖を感じずとも、映畫を思い出すとともに恐ろしくなってくる。まるで、思い出すたびに何かを理解するような感覚を味わうのだ。これこそが日本獨自の文化である。つまり論理的な敘事のなかに深く埋め込まれた殺意である。これらが合わさって、日本だけにしかない「ホラー映畫伝説」が生まれたのだ。
「中國網日本語版(チャイナネット)」 2012年7月30日