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日本政府が「尖閣諸島」の名稱を正式に使用したのは1972年から

日本政府が「尖閣諸島」の名稱を正式に使用したのは1972年から。

タグ: 釣魚島,尖閣諸島

発信時間: 2012-10-23 09:36:09 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

日本外相は少し前の記者會見で「1960年に中國で発行された世界地図は釣魚島(日本名?尖閣諸島)を日本の名稱の『尖閣群島』『魚釣島』で表記しており、中國側がかつて釣魚島を日本領と認識していたことを示している」と述べた。また、1920年に「中華民國」の駐長崎総領事が「沖縄県八重山郡尖閣列島」と書かれた感謝狀を日本に出したことに觸れ、中國は元々釣魚島を自國領と見なしていなかったとの認識を示した。筆者はこの問題に関して、いわゆる「尖閣群島」と「尖閣列島」との名稱の由來を考証してみる必要があると考える。(文:廉徳瑰?上海國際問題研究院アジア太平洋研究センター副主任。新華網掲載)

「尖閣群島」も「尖閣列島」も釣魚島などの島嶼に対する日本側の総稱であり、19世紀中頃にまで遡る。1845年6月、英國の軍艦「SAMARANG」のEdward Balcher船長の航海日誌には、釣魚島周辺海域の調査に関する記述があり、「SAMARANG」の調査に基づく海図は後に英國海軍の水路図における釣魚島周辺島嶼の名稱の基礎となった。図中にある「Pinnacle Is」の呼稱は、釣魚島に付屬する島や礁を指すのに用いられた。英語の「Pinnacle」は「頂上」「先端部」または教會の尖塔を意味する。1853年に米海軍のペリー代將が中國、琉球、日本沿海を測量調査し、英國で出版した『中國海図志』にもこの呼稱が用いられている。1870年に中國江南製造局編訳処が同書を翻訳?出版した『海道図説』はこの呼稱を「凸列島」と翻訳し、後には「衆尖島」との訳もあった。

日本人で最も早くこの呼稱を使用したのは沖縄県師範學校の教師、黒巖恒だ。1900年5月3日から20日にかけて、黒巖はすでに釣魚島の一部を借り受けていた古賀辰四郎らと釣魚島のいくつかの島や礁に上陸して調査を行った。同年8月に黒巖は日本の『地學雑誌』に「尖閣列島探検記事」と題する調査報告を発表。「いわゆる尖閣列島とは、わが國沖縄と清國福州の間の小さな島嶼である」「その位置の関係から、古來沖縄県人の知るところではあったものの、今日にいたるまで総稱がなく、地理學上大変不便であるため、私の考えで尖閣列島と稱する」と指摘した。黒巖はこの列島は地勢と地質上の特徴に基づき、およそ甲乙の2つに區分できると考えた。甲には釣魚嶼および尖閣諸嶼、乙には黃尾嶼(日本名?久場島)などが含まれる。また、黒巖は「尖閣列島」と「尖閣諸嶼」の2つの言葉を用いたが、共に英語の「Pinnacle Is」に由來することは明らかである。

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