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lbxysyl.com | 03. 08. 2013 |
日本人ボランティア、原田燎太郎さん(後列左)とその家族が広東南海紅衛(wèi)ハンセン病快復(fù)村を訪れ、療養(yǎng)中のお年寄りを喜ばせる(7月27日撮影)。
ボランティアの原田燎太郎さんは、華南地域の數(shù)十ある「ハンセン病村」のお年寄りたちの舊友だ。彼は10年前に早稲田大學(xué)を卒業(yè)した優(yōu)等生で、卒業(yè)後中國を訪れ公益活動を始める。學(xué)生時(shí)代の夢は記者になって社會の偏見を取り除くことだった。自分自身が他人に対して偏見を持っていないか確かめるため、日韓合同のボランティアチームが主催するワークキャンプに參加し、中國のハンセン病快復(fù)村を初めて訪れた。
2002年末、原田さんはワークキャンプの委員として広東のハンセン病快復(fù)村で活躍し、中國人ボランティアを募集し始める。2003年8月、中國人ボランティアが初參加。2004年の1年間、広東、広西、雲(yún)南の3地域で13回にわたりワークキャンプを開催。同年8月、広州でワークキャンプボランティア協(xié)會「家(JIA)」を設(shè)立。2012年末までに、「家(JIA)」のボランティア約11400名が、広東、広西、湖南、湖北、海南の61のハンセン病快復(fù)村と19の山間部の學(xué)校で、計(jì)522回のワークキャンプを展開した。そのうち約9割が中國人ボランティアだ。
原田さんは中國人ボランティアと活動をともにする中で同じ志をもつ仲間を見つけ、そして戀も実らせた。2005年、最も早くにワークキャンプに參加していた中國人ボランティアの蔡潔珊さんと結(jié)ばれ、2人が初めて出逢った「ハンセン村」である広東潮州「嶺后」ハンセン病快復(fù)村で挙式。2008年、2人の間に授かった第一子を「嶺后」と名付けた。
2012年5月1日から、公益慈善組織を含む広州市の社會組織は、民政部門への直接登録が可能となり、「家(JIA)」の事務(wù)局も広州の民間非営利法人として正式に登録された。現(xiàn)在、中國のハンセン病はほとんど跡を絶ち、患者は高齢化し、近い將來ハンセン病村は中國からすべてなくなる。それに合わせて「家(JIA)」も活動の場を山間部の學(xué)校へと広げている。
「ハンセン病村がなくなっても、「家(JIA)」の活動は続け、いつまでもここにいます。ここでより多くの若者がワークキャンプやボランティア活動を通して成長していくのを見屆けたいです」と原田さんは語る。
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」2013年8月3日
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