林國本
中國南部の都市広州で開催されている広州アジア競技大會は、中國スポーツ代表団にとっては、ゴールドメダル?ラッシュの期間に入っている。中國代表団の責任者の予測では、前大會をいくらか上回るかも知れない、という自信満々でありながらも、控え目なものであった。ところが、11月20日現在、中國の金メダル數は138を超え、二位の韓國、三位の日本をグッと引き離している。
これは1949年10月の新中國建國以來打ち出された、「スポーツを発展させて、國民の健康レベルの向上を目指そう、大衆スポーツの発展に力を入れよう」、というキャッチフレーズでの不斷の努力によって、オリンピックでも、アジア大會でもゴールドメダル數トップの成果をあげることになった。これは喜ぶことである。私の知人の中にも、スポーツ種目のコーチとして、生涯優秀な選手を育て上げるために打ち込んできた人もいる。また、スポーツ選手の活躍の裏で、「黒子」としてスポーツ科學の研究に打ち込んでいる人も何人か知っている。スピードを上げるには、耐久力を強化するには、ジャンプのための瞬発力を強化するには、と1つのテーマに半生または一生かけて研究している人も知っている。そして選手のスタミナの強化のための栄養學面からの研究にたずさわっている人もいる。ゴールドメダルの裏にはこうした縁の下の力持ちともいうべき大勢の人たちの目に見えぬ努力があることも忘れてはならない。
今回、かつての水泳強國日本は押された気味であった。體操種目も、先般の世界選手権大會では一位の中國に迫る勢いであったが、今回は力を出し切れなかったようだ。広州入りした時に、日本のスポーツ代表団の関係者は、できれば韓國勢を抜く成果を上げたい、という気持ちを表わしていたが、現在までのところ、ゴールドメダル數は、まだ韓國とかなりの差がある。殘りの競技種目で金メダルをどっと手に入れなければ、當初の念願は実現できなくなるかも知れない。しかし、ジャーナリズムの世界で長年暮らしてきた私は、新聞を読む時には必ず日本のスポーツ記事にも目を通しているので、全般的に見て、日本のレベルは決して低くはないと見ている。スポーツの世界には勝敗はつきもの、長い目で見ることも必要であろう。
中國のスポーツ主管部門の関係者は、中國はスポーツ大國からスポーツ強國に向かう時期にさしかかっている、と語り、また、種目別にバラツキがあるという言い方もしているが、今回のアジア大會での実績を見ると、そういうバラツキも解決されつつあるような気がする。しかし、殘念なことにサッカーという多くのファンを抱えた種目では、中國はこのところ泣かず飛ばずの感がある。大學生チームに等しい、最強の陣容ではない日本チームには負けるし、韓國チームにも敗れた。ファンの一部には失望の気持ちをあらわにする人もいるし、ものすごいヤジを飛ばすものもいたが、私見ではあるがこういう狀況にある時こそ、平常心を欠かしてはならない、と思う。今回のゴールドメダル?ラッシュで気持ちに大いにゆとりができたことを追い風に一度、中國のサッカーの建て直しについて冷靜に、じっくり考えてみてはどうかと思う。日本、韓國とはそれほど差はないと思う。ギャップはトレーニングの方法、戦術眼、ゴール前での決定力、チャンスの生かし方、試合の流れを読むイマジネーションの能力にあると思う。日本のサッカーも、イタリアから監督を招いてグレードアップを目指している。日本のサッカー界にしても、強化策について見方の違いがある。中國のサッカー?ファンの夢は、中國サッカーチームがワールド?カップのヒノキ舞臺で活躍することだろう。衛星テレビの発達した今日、中國のサッカー?ファンはつねに世界のサッカーの動きに注目している。そういう雰囲気の中で、中國サッカー界の人たちがあせるのは分からないではないが、中國人はもともと、事にあたって悠々とかまえるタイプが多かったが、サッカーについてはどうもそれとは逆になっているようなタイプの人も見かける。私見ではあるが、なぜ中國のサッカーがもたもたしているのか、じっくり検討して見るとともに、「愚公、山を移す」、「鳴くまで待とうホトトギス」という度量を持つことも必要と思う。
一部の人たちの話では、ハングリー精神がないと、蕓とか、スポーツとかを十數年もかけて身につけることは大変らしい。とくに中國もアニメとか、ロボット競技とか、幼稚園の頃からのバイリンガルの勉強とか、中國も豊かになってくるにつれて、子供たちを苦しいスポーツの世界に送り込みたがる両親の數もひところ前より減ってきていると聞く。中國でずっとゴールドメダル?ラッシュの時代がつづくとは限らない。長期的視野で考える必要があるような気がする。
「中國網日本語版(チャイナネット)」2010年11月23日