このほど、日本の3つの動(dòng)きが注目を集めている。まず岸田文雄外相は核拡散防止條約(NPT)再検討會(huì)議で、世界の指導(dǎo)者に対して広島と長(zhǎng)崎の被爆地を訪問(wèn)するよう呼びかけ、この內(nèi)容を最終文書(shū)素案に盛り込んだ。次に、「明治日本の産業(yè)革命遺産」の世界文化遺産の登録申請(qǐng)が行われた。日本が申請(qǐng)した23ヶ所の産業(yè)遺産には、第二次大戦中に中國(guó)、朝鮮半島、その他のアジア諸國(guó)の人々を強(qiáng)制徴用していた施設(shè)が多く含まれる。それから、南九州市の「知覧特攻平和會(huì)館」は約1萬(wàn)4000點(diǎn)の「神風(fēng)特攻隊(duì)」の隊(duì)員が殘した遺品を、世界記憶遺産に登録するため申請(qǐng)している。これらの遺品には、「玉砕」「忠君」といった熱狂的な軍國(guó)主義思想が満ちている。
この3つの出來(lái)事には、第二次大戦という共通點(diǎn)がある。世界各國(guó)はこれに強(qiáng)い反応を示した。原爆はさておき、神風(fēng)特攻隊(duì)は第二次大戦の産物だ。「明治日本の産業(yè)革命遺産」には、九州市の八幡製鐵所、長(zhǎng)崎造船所、端島炭坑など、20以上の重工業(yè)?鉱業(yè)施設(shè)が含まれる。近現(xiàn)代の日本による対外侵略戦爭(zhēng)において、これらの重工業(yè)施設(shè)は極めて重要な力を発揮した。この対外侵略戦爭(zhēng)を強(qiáng)く支えた工業(yè)施設(shè)は、世界文化遺産の「顕著な普遍的価値」という審査基準(zhǔn)を満たすだろうか?
日本は第二次大戦中に、中國(guó)?韓國(guó)などの無(wú)數(shù)の労働者を強(qiáng)制徴用した。そのうちの多くが、これらの産業(yè)遺産で働いたことがある。労働者は極めて激しい肉體労働に従事し、かつ頻繁に虐待された。三井三池炭鉱萬(wàn)田坑で働いていた日本人炭鉱夫の古荘武夫氏は、「體力が盡きた中國(guó)人労働者が倒れ、數(shù)百キロのトロッコに引かれ、內(nèi)蔵が飛び出すのを目にしたことがある」と振り返った。強(qiáng)制徴用した労働者を奴隷としたことは、日本軍國(guó)主義の侵略の罪、非人道的な虐待であり、彼らの罪を深めた。日本は世界文化遺産の登録によって、彼らの産業(yè)化の成果を示そうとしているが、その裏側(cè)にある報(bào)われない魂を忘れている。この血と涙に満ちた工場(chǎng)に、世界文化遺産の登録申請(qǐng)資格があるだろうか?
広島と長(zhǎng)崎の原爆投下は、人類の歴史における悲劇だ。しかし日本の軍國(guó)主義者が他國(guó)の人々を虐殺していなければ、日本政府が反省を拒み頑なな態(tài)度をとり続けたのでなければ、広島と長(zhǎng)崎の悲劇は起きなかっただろう。岸田外相の発言は「被害國(guó)」の立場(chǎng)を誇張し、人道主義の問(wèn)題を利用し歴史の是非をあいまいにしようとするものだ。第二次大戦中、軍國(guó)主義にそそのかされ多くの若者が神風(fēng)特攻隊(duì)に入隊(duì)した。しかし歴史の正義が、彼らが自ら死のうとしたのか、死ぬことを強(qiáng)いられたのかによって変わることはない。軍國(guó)主義の雰囲気に満ちた遺書(shū)、熱狂的に天皇に忠誠(chéng)を誓い他國(guó)民の生命と財(cái)産を蔑視する心境を、世界記憶遺産として大々的に宣伝することができるだろうか?
世界反ファシズム戦爭(zhēng)勝利70周年に當(dāng)たり、日本はこの一連の行動(dòng)により、第二次大戦の「被害者」を演じようとしている。しかし日本は戦爭(zhēng)の因果関係を反省せず、最も基本的な歴史の責(zé)任感を持っていない。これは歴史を記念し、未來(lái)の戒めとする手段ではない。世界の人々には良識(shí)がある。侵略者は永遠(yuǎn)に「被害者」にはなれない。
「中國(guó)網(wǎng)日本語(yǔ)版(チャイナネット)」 2015年5月20日