鴨川市の市民団體が刊行した『鴨川の戦爭(zhēng)とくらし 50人の証言』は日本の第二次世界大戦に參加した人たちに証言を記録している。同団體は「聞き取りができるのは今がぎりぎり」と考え、戦後70年にあたる5年前に関連の調(diào)査を開始した。証言集は多くの貴重で重要な証言をまとめ、元731部隊(duì)隊(duì)員が捕虜の遺體処理について「灰にし、粉になった遺骨はまいていた」と証言したなどの內(nèi)容を盛り込んでいる。
日本の『千葉日?qǐng)?bào)』の13日の記事によると、同証言集を監(jiān)修した篠田隆氏は今年75歳で、市民団體「戦爭(zhēng)を語(yǔ)り、伝える會(huì) in 鴨川」の會(huì)員。彼は、戦爭(zhēng)が庶民の生活にどのような影響を與えたかを記録したいと話した。出版に向け、彼はアンケート調(diào)査や訪問などを通し、関係者から當(dāng)時(shí)の飲食、服裝、學(xué)校などの日常生活を聞いた。
篠田氏は多くの貴重な証言を集めた。終戦時(shí)に12歳だったある人物は、「當(dāng)時(shí)は空腹でお手玉に入れた大豆を食べ、絵の具までなめた」と話した。8歳だったある人物は「姉のランドセルに機(jī)銃掃射の弾が當(dāng)たった」と話した。
別の元731部隊(duì)隊(duì)員は、當(dāng)時(shí)の「?jìng)螠褐輫?guó)」で細(xì)菌兵器の研究開発を擔(dān)當(dāng)し、「地下の監(jiān)獄みたいなところに中國(guó)人やアメリカ人がいた」と証言した。當(dāng)時(shí)はノミを捕虜の體において実験し、死亡した捕虜を火葬場(chǎng)のようなところでまとめて灰にし、粉になった遺骨はまいていたという。
これらの証言の提供者のうち、少なくとも5人が出版前に亡くなった。篠田氏は、「本人に直接手渡すことができず、非常に悔しい。我々が話を聞いた人たちは十分に役目を果たした。1人でも多くの人にこの証言集を広めてもらいたい」と話した。
?中國(guó)網(wǎng)日本語(yǔ)版(チャイナネット)?2020年9月14日