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鄧穎超団長の思い出

人民中國  |  2023-03-11

鄧穎超団長の思い出。

タグ:歴史 中日友好 周恩來 鄧穎超 全人代

発信時間:2023-03-11 09:35:38 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

藤田基彥=文?寫真提供  

 1971年7月16日、ホテル予約客の週間予定表を作成していたとき、同僚から「ニクソン大統領が來年の訪中を決定し発表」という臨時ニュースを伝えられた。その瞬間は今でも忘れられない。「あぁ、良かったなぁ!」と一つの時代が動いた感じがした。 

 翌72年7月7日、田中角栄氏が內閣総理大臣に就任し、中華人民共和國との國交正常化を急ぐとの談話を発表。周恩來総理は、田中首相の政策に歓迎を表明した。 

 當時の周恩來総理の発言の數々を今でも良く覚えている。特に、「加害者が過去を忘れないようにし、被害者ができるだけ忘れようとする関係になれば、中日両國の將來は明るい」「中國は過去に各國の侵略を受け、莫大な賠償金を支払った。日本は、何年かの國家予算に相當するこの賠償金をロンドンに運び、軍艦を製造したが、米國と英國は賠償金の一部で病院や図書館をつくってくれた。いずれにせよ、中國人民はこの支払いのため、何年も重稅に苦しめられた。日本人民にはこの苦しみを経験してほしくない。だから賠償金は請求しない」との発言は印象深かった。 

 73年から、箱根ホテル小涌園は、國交正常化後初の中國政府派遣代表団となる廖承志?中日友好協會會長が団長の中日友好協會訪日代表団をはじめとして、多岐にわたる各界の代表団を迎えるようになった。代表団は中央政府から徐々に省?市へと広がり、日本側の受け入れも、日中友好4団體(後に7団體)や日本國際貿易促進協會の會員企業、友好交流都市の自治體、外務省、経団連、日本銀行と、ほとんどの企業?団體が中國との友好交流に攜わっていた。また大手の商社や企業などには「中國室」が設けられた。 

 79年4月13日、周恩來総理の令夫人である鄧穎超?全國人民代表大會常務委員會副委員長(當時)を団長とする中國?全人代の訪日代表団一行が、ホテル小涌園に一泊された。団員には、孫平化?中日友好協會秘書長などの常連客もいらっしゃった。訪日のきっかけについて、孫平化氏の『日本との30年—中日友好隨想録』にはこう記録されている。 


大勢の出迎えに拍手をもって応え、一人一人にあいさつする鄧穎超団長(中央)

 「周総理は、中日平和友好條約が締結された暁には、桜の花開く春に、再び日本を訪れたいと表明しており、日本の友人も、周総理が日本を再訪して宿願を果たせるよう願い続け、招請していた。しかし、不幸なことに、この願望はついに実現しなかった。……悔やんでも悔やみきれないこの思いを埋め合わせるために、(令夫人である)鄧穎超女史に日本訪問を招請していた。……周総理のかつての足跡に沿って、まず東京、箱根を訪れ、つぎに京都、嵐山、琵琶湖へ行き、最後に大阪から帰國することにした」 

 一行が到著されたときには、ちょうど箱根山が桜花らんまんの最高の季節を迎えた。晝食後、鄧穎超団長は桜が咲き誇る庭園を散歩された。 

 年齢が76歳と聞いていたが、精力的な姿からは想像もできなかった。帰館後、館內の案內を仰せつかった。初めはとても緊張した。約20分間であったが、すぐ隣にいた私は、質問にお答えしているうちに、何年も前から存じ上げているような感じを受け、なぜか安堵感が出てきて緊張がほぐれた。そばにいて大変優しい人柄を感じた。鄧団長は、中國國民から「鄧お母さん」と親しみを込めて呼ばれていると前から聞いていたが、普遍的な母親の雰囲気を持っておられるからだろうと感じた。 

 夕食の際、鄧団長は自室に日中友好に長年盡力されてきた西園寺公一氏の家族を招かれた。また就寢前に、全団員の部屋を回って一人一人に聲を掛けられ、體調は大丈夫か、夕食は楽しめたかどうかなどと聞かれた。お疲れもあったろうかと思うが、自ら行動されるのは敬服の至りだった。 

 一行が帰國された後、鄧団長から4月26日付の禮狀が日本の中國大使館経由で屆いた。その中で鄧団長は、「皆様は、貴國の他の友人の方々ともども、心のこもった歓待と、全てにわたって行き屆いた心配りで私たちを迎えてくださり、私たちはまるで自分の家にいるような気分でくつろぐことができました。皆様の誠実?真摯かつ深く細やかな情誼は、あの絢爛たる桜の花と同じように、永遠に私たちの記憶にとどまることでしょう」とし、「今回の訪問を通じて私たちは、中日友好の春の如く光に満ちた現狀と、輝かしい未來を見てとることができました。私たちは、皆様をはじめ貴國の友人の方々と共に努力を続け、両國の間の友誼を、現在の基礎の上に立って、絶えることなく発展させていきたいと願っております」と語った。 


鄧穎超団長による揮毫、「中日友好世世代代傳下去」(中日友好を子々孫々受け継いでいこう)  

 丁重なる禮狀のお言葉、団員全員への気配りに心を打たれた。私は現在76歳、當時の鄧団長の年になるが、あの現役のお姿のエネルギーを私も蓄えたい。 

 「人民中國」より2023年3月11日

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