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中國翻訳協(xié)會のセミナー 中文日訳の難しさについて

林國本

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北京第二外國語大學の音頭取りで、中國翻訳協(xié)會対外メディア翻訳委員會の第2回セミナーが北京のリゾート地蟹(かに)島で開催された。長年中日両國間のコミュニケーションや文化交流などの仕事に攜わってきた人たちがこのセミナーに出席した。

邱鳴第二外大副學長?中國翻訳家協(xié)會副會長の開會の挨拶のあと、參加者たちがそれぞれの分野の実體験をもとに、中文日訳についてフランクに語り合った。

中國と日本は漢字を使っているので、翻訳の中で、時々、困ることもあり、それをどう上手に乗り越えてきたか、という苦心談も含めて、非常に有益な交流が繰り広げられた。

聞くところによると、中國で日本語を勉強している人の數(shù)は、5萬人に達するといわれ、かなりの人がそれぞれの仕事の中ですばらしいノウハウを蓄積しているが、みんなバラバラになっていて、今日のような集いがあればいいのだがなあと思っている人が多數(shù)いたが、やはり誰かが音頭をとらなければ、なかなかこれだけの人たちが集まることは不可能であった。したがって、みんな「時の流れに身を任せ」という、あきらめにひとしい気持ちでいた。

余談になるが、中國語の中に、「工作人員」という言葉があるが、これは実に軽い意味での擔當の係りの人とか、職員とか、スタッフとかいう意味の言葉にすぎないのだが、私が日本で中國のメディアの特派員として長期滯在していた時に、日本のかなり教養(yǎng)レベルの高い人から、「工作員」というのはスパイのことではないのか、と尋ねられて、これこそ噴飯ものだと大笑いしたことがある。日本の新聞に一時「工作船」とか、「工作員」とかいう言葉がよく載っていたので、それと勘違いしたのであろう。その點、私の友人で英語でメシを食っている連中は気楽なもので、こういう神経を使う必要はないらしい。ダジャレみたいな話だが、中國語の「手紙」は日本語ではトイレット?ペーパーの意味になってしまうといわれているように、同じ漢字を使っている場合、誤解が生じやすいこともある。もっと面白い例もあるのだが、チャイナネットというナショナル?クラスのハイクォリティのメディアに小文を載せてもらうので、品のよくない例は「割愛」することにしたが、要するに翻訳という仕事は面白いが、非常に気を使う仕事なのである。

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とくに、情報化時代というご時世になると、いろいろな言葉が現(xiàn)れ、訳語の選択にも一苦労せざるをえなくなる。中國語にはカタカナという便利な、都合のよいツールがないので、外國の商品名の翻訳では名訳があるとともに謎訳もかなりあり、まさに玉石混交の感がある。ある日本の著名な自動車メーカーは、「ナショナリズムの高まり」のようなものでたたかれるのを避けるために、車種名をすべて外來語にしてしまったはいいが、以前の車種名に慣れきった中國人たちは、たいへんな頭の切り替えを強いられたようだ。しかし、それでも、私はなるべく不必要なゴタゴタを避けるために、外來語に切り替えるほうが賢明だと思っている。

そういうことで今回のセミナーでは、こういう些細なことも含めて、中國をよりよく外の世界に知ってもらうためにはどういう努力が必要かということが話し合われた。

まったくの私見ではあるが、私は思考の不斷の変革を主張している人間であり、中國もやがては80年代、90年代に生まれた人たちが社會の主役を占める時代になるので、日本の同じ世代の人たちの感性、感受性を念頭に置く必要がある、と考えている。今回セミナーに參加した人たちは、偶然にもすべてがそういう考え方をもった人たちだったので、私は本當に勉強になったし、また、非常にたのしい一日だった。

話し合われた內(nèi)容については、中國翻訳協(xié)會のウェブ上に公開されると思うので、ここでは省略するが、なかには日本人の方が実に上手に訳している例もあるので、われわれもこれまでより視野を広げ、改革?開放という時代のトレンドにふさわしい取り組みが必要であることも感じた。中國で仕事をしているといろいろしがらみもあって、気を使わなくてもいいことに神経をすり減らすことがある。たとえば、「失業(yè)者」という言葉であるが、一時帰休者とか、レイオフされた人たちとか、國のイメージにかかわることなので、気を使って訳していた時期もあった。しかし、國際化の中で、外國の投資を呼び込むためには、信頼のおける統(tǒng)計データを公表しなくては國際社會では相手にされない。「失業(yè)者」がいても恥ずかしいことではない。世界のいくつかの「先進國」と言われる國でも失業(yè)者はいるし、日本ではホームレス、派遣切りとかいったこともちゃんと報道されているではないか。その點、中國もますます透明性のある社會となっているので、われわれも仕事がしやすくなったような気がする。右顧左眄して、気を使うケースが減ったからだ。また、たとえば、「ややゆとりのある社會」という訳も、苦心の末に搾り出した智恵だが、日本ではいっそのこと「小康社會」と訳している。すると、言語學者の間では、「小康」という言葉の意味は、病気が治まって快方にむかうイメージの言葉だから、一寸違うのではという異論も出てくる。しかし、日本で一年も、二年も使っているとそれがもう定著してしまっている。「南水北調(diào)」という言葉も、日本のメディアが堂々と使ってくれているおかげで、われわれはわざわざ説明、注釈をつけなくて済むようになった。そういうことで、今回のセミナーでは日本のように「小康社會」という言葉を通用させてしまう手があるのだ、という考え方も共感を得た。

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二國間のコミュニケーションに數(shù)十年攜わってきた人間の一人として、「さらなるグレードアップ」の可能性が見えてきたセミナーであった。ちなみに、邱副學長は日本で「太平記」を研究した人であるにもかかわらず、北京語言大學で管理職についていた頃に、私のような淺學非才の輩に同時通訳の講座を擔當させてくれ、第二外大に転出、昇格されてからは、21世紀の中日両國のコミュニケーションの世界で活躍する人材の育成に力を入れている。邱副會長や第二外大の絶大なプロデューサーとしてのバックアップがなかったら、今回のような多分野の人たちからなるセミナーは夢物語であったであろうし、多くの人たちの中に埋もれていたノウハウも、個人、個人の「名人蕓」あるいは「匠の蕓」として、お互いに觸発しあう機會は永遠になかったと思う、これからわれわれの仕事はもっと面白いものとなり、さらにグレードアップすることになろう。こういう試みにゴーサインを出した中國翻訳協(xié)會も、中國の國際的地位の向上という時代の追い風をがっちりと捉えた、といえるのではないだろうか。やがては中國の宇宙ステーションが現(xiàn)れる日が來るのだ。われわれは頭を絶えずリフレッシューしなければならない。

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「チャイナネット」 2009年12月14日