貝貝ちゃんが生まれるまで張さんはこの問題について考えたことがなかった。彼女と夫の家は北京から遠くはなく、どちらの両親も高齢ではないし、身體も健康だ。孫が生まれるのを切望している彼らをみて張さんは、両家の両親が子育てをめぐって子どもの奪い合いになるのではないかと心配さえした。だが、貝貝ちゃんの生誕後、狀況はそんなに楽観的ではなくなった。
張さんの両親は今も働いており、妹は大學に入ったが、弟はまだ高校生のため家で面倒をみる必要がある。母方の祖父は半身不隨で床についているため、張さんの母親は定期的に世話をしに行かなければならず、自然と子どもの世話は夫の両親に委ねることになった。
夫の両親一家は河北省の農村に住んでいるため、どうしても農作業を誰かがする必要があり、再三にわたる話し合いの結果、夫の母親が一人で北京に來ることになった。母親は溫厚で有能、苦労をいとわず、至れり盡くせりで張さんと子どもの面倒をみた。張さんが出勤した後も一人で子供を適切に世話をしてくれ、張さんは彼女にいたく感激していた。
こうして平穏で順調に過ごすなか、貝貝ちゃんが1歳半になったある日、夫の祖父が脳溢血で倒れ、夫の母親は子どもの世話に來れなくなった。ちょうど夫の弟の家にも子供が生まれ、彼らも夫の母親に子供の世話を依頼した。長男も次男もどちらもかわいいと思う母親はしばらく悩んだが、それでも実家に戻った。
突然子どもの世話をする人がいなくなり、張さんは茫然となった。彼女はベビーシッターを探そうと思ったことはなく、そもそも自分と夫は中所得の給料なのでベビーシッターを頼むことが出來なかったのだが、もし頼める余裕があっても信頼できる人を探すのは非常に難しい。彼女たちは貝貝ちゃんを母方の祖母の家に住まわせたり、夫が一時休暇を取って自宅で養育するなどいくつか方法を試しているうちに、ようやく貝貝ちゃんは2歳半になった。
誰來帶娃?
貝貝出生之前,小張從來沒有考慮過這個問題。她和丈夫家離北京都不算遠,兩邊老人年紀不大,身體也算健康硬朗,看著他們切盼孫兒的眼神,小張甚至還擔心過兩家老人會為帶孩子爭搶不休。可是,當貝貝出生后,情況就不那么樂觀了。
小張的父母還在上班,妹妹已經上了大學,但弟弟還在上高中,家里離不開人照顧。而且姥爺癱瘓在床,小張的媽媽需要定期前去護理,所以帶孩子的重任自然就落在了公公婆婆身上。
公婆一家生活在河北農村,地里的農活總得有人照應,經過再三協調,最終婆婆一個人來到了北京。婆婆厚道干練,任勞任怨,無微不至地照顧小張和孩子,小張上班后,婆婆一人將孩子照顧得妥妥帖帖,小張對她充滿了感激之情。
本以為生活就這樣平靜順暢地過下去了,可是,在貝貝一歲半的時候,有一天丈夫的爺爺突患腦溢血成為了植物人,公公一個人根本照顧不過來。而且丈夫的弟弟家也迎來了新生命,他們要求婆婆也必須為自己帶孩子。手心手背都是肉,婆婆猶豫良久,還是回了老家。
突然面臨無人帶娃的局面,小張變得茫然、無助和無奈。她不是沒有考慮過請保姆這件事,但是自己和丈夫都是收入屬于中等水平的工薪階層,且不說根本請不起保姆,即使能請得起,那也很難找到一個放心的保姆。這期間,他們試過將貝貝送回姥姥家、讓丈夫休息一段時間在家帶娃等各種辦法,好歹熬到了貝貝兩歲半。