1988年5月19日は杜俠都(中國名)氏にとって忘れがたい日だ。自身の59回目の誕生日にあたるこの日、杜俠都氏は歐州共同體(EC、當時)の初代駐中國大使として著任した。杜俠都氏はこの日から6年間にわたり中國で外交人生を送った。
1994年の離任パーティーで杜俠都氏は「北京は大きくなり、中國は発展した。ここは日進月歩で変化している。もし退任年齢に達したのでなかったら、中國を離れるのが惜しくてならないだろう。また戻ってきたい」と感慨深げに語った。ほどなくして杜俠都氏はフランス最大のブランドグループの中國擔當高級顧問や仏中委員會の副委員長に就任し、2001年に病気を理由に退くまで、毎年數(shù)回中國への出張を続けた。
現(xiàn)在すでに80歳という高齢に達した杜俠都氏は、このほどブリュッセルの自宅で人民日報の単獨取材に応じた。杜俠都氏は椅子に座ると上著のポケットから老眼鏡を取り出し「この眼鏡はフランスのどこかのブランドのものに違いないと思われますが、実は北京の小さな露店で買ったものなんです。たった12元で、もう10年以上使っていますが、とてもいいですよ。今からすれば何でもないことかも知れませんが、20年前には想像もできないことでした。北京に著いたばかりの頃、買い物をするには友誼商店に行って外貨兌換券を使うしかなかったのを覚えています」と語った。
通貨の話になると杜俠都氏は感慨深げに「私が駐中國大使だった頃、中國は資金不足で、EU企業(yè)の投資を誘致するために萬策を盡くしていました。今や、EU諸國の方が手段を盡くして中國の投資を得ようとしています。昔の中國は外貨が非常に不足しており、両替で金儲けをする人もいました。北京の街頭では『外貨ある?』と聞いてくる人にしょっちゅう出くわしたものです。今や中國駐在の外國人は米ドルでもらった給與をすぐに人民元に換えようとします。現(xiàn)在では中國の外貨準備高は世界一です」と語った。
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