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流動人口、親子世代間で異なる夢 |
発信時間: 2008-12-09 | チャイナネット |
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ベテラン木工職人の張広軍さんは、1980年代に四川省の故郷を離れ、大都市で肉體労働に従事する出稼ぎ労働者となった。1990年代初めからの広州での生活は、もうすでに十?dāng)?shù)年が経とうとしている。出稼ぎ労働で稼いだお金は全部、一家の生活費(fèi)に充て、また、息子や娘を大學(xué)に入學(xué)させた。新華社のウェブサイト「新華網(wǎng)」が伝えた。 息子の張波さんは大學(xué)卒業(yè)後、父親のいる広州にやって來た。父親は、息子がホワイトカラーとして就職することを望んだが、本人は聞き入れず、自分で會社を経営することを夢見ている。息子に安定を求める父親と、野心を捨てない息子。人生の夢に対する考えの違いのせいで、時にはケンカになることもあるという。張広軍さんは冗談交じりに「改革開放が我が家にもたらした新たな試練だよ」と笑う。 ▽父の夢 父親の夢とは「體力仕事が出來なくなったとき、故郷に帰って、老後を過ごす」というものだ。 張広軍さんは今年53歳、四川省のとある村で生まれ育ち、17歳から木工職人について仕事をした。改革開放後、農(nóng)民が土地から解放され、張広軍さんも都市へ出稼ぎ労働に出るようになった。 1980年代以降、張広軍さんのように故郷を離れ大都市で出稼ぎ労働にあたる農(nóng)民は非常に多く、彼らは肉體労働でお金を稼ぎ、家族を養(yǎng)い、子どもの教育費(fèi)に充てている。今、中國全土で、約2億1千萬人もの農(nóng)民の出稼ぎ労働者がいるといわれる。この數(shù)は全國総人口の16%を占めている。彼らは建設(shè)ラッシュが続く大都市の重要な労働力供給源として貢獻(xiàn)すると同時に、自分の夢を持ち続けているのである。 張広軍さんが出稼ぎ労働者になったばかりの頃の夢は「いっぱい稼いで、息子や娘を大學(xué)に入れること」だった?!感W(xué)校5年生の時に文化大革命が始まったから、それ以降の教育は受けていない。自分の息子や娘には絶対、ちゃんと教育を受けさせたいと思っていた。學(xué)歴や教養(yǎng)があってこそ、いい仕事や高い社會的地位に就くことができるし、次のステップにも進(jìn)めるんだ」と述べている。 張広軍さんは1993年、同郷の3人と四川から広州に出稼ぎに出てきた。家の農(nóng)業(yè)や子どものことは全て妻に委ねた。當(dāng)時、息子?張波さんは中學(xué)校1年生だった。広州に出てきたばかりの頃、張広軍さん達(dá)は、部屋を借りるお金もなく、施工現(xiàn)場に寢泊りするほかなかった。 木工職人であった張広軍さんは、仕事のきつさをいとわず、水回り工事、電気工事、塗裝、左官工事など、何でもこなす內(nèi)裝職人となった。故郷から多くの労働者を伴い、次第に、同郷の7、8人を率いる職人頭となり、自分から、內(nèi)裝工事の請負(fù)に行くようになり始めた。 職人頭となった張広軍さんは2003年以降、毎年7、8萬元の収入を得られるようになった。特に2006年と2007年は景気もよく、10萬元を超える?yún)毪虻盲皮い?。だが、今年は世間全體の景気が悪く、もう年末になるというのに、5萬元ほどにしかならないという。張広軍さんは、これらの収入を糧に、一度の借金もせず、家族を養(yǎng)い、また、息子?張波さんと、娘?張蓉さんを大學(xué)まで進(jìn)學(xué)させている。 「自分の今の夢は何か?」との問いに、張広軍さんは「私は農(nóng)民出身だから、夢は子どもに全部託しているんだ」という?!袱ⅳà蒲预à?、自分の身體が體力仕事に耐えられなくなるまで、広州で可能な限り稼ぎたい。その時までには、故郷で何の心配も無く晩年を暮らせるだけの貯蓄があればいいなぁと願っているよ」と答えている。 |
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