障?麗君(テレサ?テン)が亡くなってから15年を迎えた8日、海峽両岸(大陸部と臺灣)はフォーラム、コンサート、法事などさまざまな行事が催され、この世紀のスーパースターを記念した。
7日、障?麗君(テレサ?テン)文教基金會が主催する「願わくば生きていて欲しかった---障?麗君(テレサ?テン)逝去15周年記念フォーラム」が臺北君悅飯店で開催された。海峽両岸の文化、音楽界関係者、親類、生前の友人、仕事を共にしたパートナーらが一堂に會し、障?麗君(テレサ?テン)の音楽が中國語流行文化、経済生活に與えた影響を共に探った。ある出席者は、ひとりの流行歌手のために専門學術(shù)フォーラムが催されることは、両岸の音楽界にとって空前絶後だと述べた。
障?麗君(テレサ?テン)の日本でのマネージャーを務めた舟木稔氏は1970年代から80年代にかけて、彼女を日本の蕓能界でのスターダムを駆け上ったのを後押し、日本での蕓能生活のピークを支えた。既に引退した舟木氏は、障?麗君(テレサ?テン)文教基金會の理事を務める。
障?麗君(テレサ?テン)逝去15周年記念日の前夜、彼女の兄の障?長富氏は記者の取材に応じ、彼女は生前、學歴がなかったこと、大陸で歌うことができなかったこと、自身のライフワークが未完成に終わったこと、この3つの無念があったことを明らかにした。
障?麗君(テレサ?テン)は14歳で歌手デビュー、その甘い歌聲とあでやかな長髪で、天使のごとく中國語歌謡界で28年間にわたり活躍、世界中の華人に世代を超えて大きな影響を與えた。1995年5月8日、彼女はタイ?チェンマイで急逝した。死因については、様々な説がある。
「人民網(wǎng)日本語版」2010年5月10日